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この日を待っていた
コンビニのレジを打ちながら、視線を感じた大和はふと外を見たが誰もいなかった。
この頃、誰かの視線を感じるのだが、振り向くと誰もいない。
他人に自分がどう見られているか、特に女子の視線を意識してしまうのは思春期男子としては当然のことと分かってはいるが、最近のこの変な感じはそういったたぐいとは違うような気がすると大和は感じていた。
客が途切れたとき、入口の自動扉が開いて入店音が鳴った。
大和が「いらっしゃいませ」と挨拶をすると、和子がニコニコしながら軽く頭を下げた。
常連のおばあちゃんだ。
和子はそのまま大和を見ながらレジに向かって歩き、レジ横の大福を手に取ると、大和に差し出した。
それから、ガマ口の財布を開けながら言った。
「高校生なのにえらいわね」
「い、いえ」
大和は、バーコードをスキャンして金額を告げた。
お釣りを渡すと、和子は両手で受け取り、そっと大和の手を握った。
「がんばってね」
いつものことだった。
そして、店を出るときに、軽くおじぎをして立ち去る。
「あのおばあちゃん、毎日来るね」
隣のレジにいた里奈が大和に話しかけた。
「うん、そうだね」
「いつも大和くんのレジにしか並ばないよね」
「そう?」
「うん、そうだよ。大和くんのこと好きなんだよ」
「まあ、孫みたいに思ってるのかもね。それより、明日どっか行かない?」
大和が照れくさそうに誘うと、里奈は「初デートは映画がいい!」と元気よく答えた。
里奈は二週間前に入った新人で、バイト終わりはいつも一緒に帰るようになり告白は里奈からだった。
大和に断る理由なんてなかった。
里奈は、客がいないことをいいことにスマホをいじりながら、「何がいいかな」とつぶやいた。
日曜日の映画館は混んでいた。
映画の途中で、里奈に手を握られて大和は突然のことに驚いて里奈の手をかわしてしまった。
里奈は一つ年下なのに積極的だった。
大和にとっては初めての彼女で、積極的な子はうれしいのだが、恋愛経験が未熟でどうしていいのか分からない。
トイレの前で里奈を待っていると、こちらに歩いてくるおばあちゃんと目が合った。
「あら、コンビニの」
和子だった。
「こんにちは」と挨拶をすると、トイレから出てきた里奈が大和の隣に並んだ。
「あら、デートなの?」
「ええ、まあ」
「若いっていいわね」
和子は、ガマ口を出すと、大和の腕をとってお札を握らせた。
「これでおいしいものでも食べなさい」
大和は自分の手の中のお札を見た。
一万円札だった。
「こんな大金もらえません」
すぐに返そうとしたが、和子は受け取りを拒否してトイレに入ってしまった。
一万円札を握りしめ、あ然とする大和の手から、里奈が「ラッキー」と言ってお札を奪った。
「ダメだよ。返さないと」
大和は里奈からお札を取り上げた。
「お年寄りの親切は受け取った方がいいよ」
「でも、一万円は親切の範疇を越えてるよ」
「じゃあ、私が返してくる」
里奈は、大和からお札を受け取ると女子トイレに入った。
「行こう」
里奈は、すぐに出てきて大和の腕をとった。
「返したの?」
「うん。ちゃんと返したよ」
初デートから三日後、里奈はバイトに来なかった。
「また辞めちゃったよ。若い子は続かないね」
店長は、里奈がバイトを辞めたことをぼやいた。
この三日間、里奈から連絡はなかった。
嫌われたな。
大和は、そう思って自分から連絡することをあきらめた。
数日後、大和がコンタクトレンズを買いに眼科に行くと里奈がいた。
大和に気づいた里奈は視線をそらした。
待合室は混んでいて、里奈のとなりしか席が空いていなかったので、仕方なく大和は里奈の隣に座った。
「久しぶりだね」
里奈は、気まずそうにそう言った。
問い詰めるつもりはなかったが、大和は里奈に質問をした。
「なんでバイトやめたの?」
「結構きついなって思って……」
「店長、怒ってたよ」
「ちゃんと連絡したし」
控えめに答えていた里奈の口調が強くなった。
大和は、責めるような言い方になったことを反省した。
「何で連絡くれないの?」
「そっちもそうでしょ」
里奈の態度はますます大きくなり、足を組むと腕を組んだ。
「嫌われたと思ったから」
「はあ?」
里奈は大和をにらみつけると、ふんっと鼻を鳴らした。
「あんた何言ってるの? 二股かけといて何なの?」
「二股?」
「とぼけんなよ」
「誤解だよ」
二人の言い合いに、スマホを見ていた患者たちが顔を上げ、受付の人も高校生の痴話喧嘩をポカンと口を開けて見ていた。
大和は、声をひそめて里奈に聞いた。
「どういうこと? 俺が他の女の子とデートしていたところでも見たの?」
「その方がまだマシだよ」
里奈は、普通のトーンで答えた。
里奈は何か誤解している。
学校とバイトと家の往復しかしていないのだから二股なんかかけている暇はないし、その方がマシとは一体どういうことなんだ。
大和の頭はますます混乱した。
「ちゃんと説明してくれよ」
里奈は、大きくため息をつくとこう言った。
「熟女が好きなんだろ」
熟女というエロティックなキーワードに大和は慌てふためいた。
待合室を見渡すと、全員が大和を見ていた。
「何言ってるんだよ。そんなわけないだろ」
大和は、そこにいるみんなに聞こえるように声を出したが、わざとらしくなってしまったことでますます誤解が深まったのではないかと不安になった。
「おばあちゃんと付き合ってるんでしょ?」
「えっ? えっ? えっ?」
大和は里奈が何を言っているのかまったく理解ができなかった。
「常連のおばあちゃんだよ」
大和の頭の中に、いつもにこにこして手を握ってくる優しいおばあちゃんの顔が浮かんだ。
「どういうこと?」
「おばあちゃんに言われたんだよ。『大和は私と付き合ってるのよ。大和は熟女好きなの。ほほほ』って」
里奈は、和子の言い方をまねした。
「そんなことあるわけないだろ。そんなこと信じたの?」
里奈の名前が呼ばれると、彼女は「もう私に近づかないで」と言い放って大和の前から立ち去った。
一人になった大和は、周りの視線を感じながら身を縮めた。
一体どういうことなんだ。
あのおばあちゃんがそんなこと言ったなんて信じられない。
もう誰を信じていいのか分からなかった。
土曜日、大和は朝からバイトだった。
里奈が突然辞めたせいで、シフトが増えたし、眼科での出来事を思い出すと仕事中に何度もため息が出た。
午前中、弁当を並べていると、「あら、おいしそうね」と声が聞こえた。
横に和子が立っていて、大和の手元をのぞき込んでいた。
大和が立ち上ると、和子はA4サイズの紙袋を差し出した。
「これ、あなたにプレゼント」
大和は、里奈が言っていたことを思い出し、直立したまま動けなかった。
「今日、誕生日でしょ。受け取ってちょうだい」
戸惑う大和に紙袋を押しつけて、和子は立ち去った。
大和は、自分の誕生日のことをすっかり忘れていた。
自動扉の入店音が聞こえて我に返った大和は和子を追いかけた。
「あの。これ、いただけません」
大和は失礼にならないように、和子に紙袋を差し出した。
しかし、和子は頑として受け取らない。
「たいしたものじゃないの。この日のために一生懸命選んだのよ。成人になった記念だから」
大和は疑問を口にした。
「どうして僕の誕生日を知っているんですか?」
和子は、ゆっくりとうなずいてから遠い目をした。
「私は、この日をずっと待っていたの。あなたが成人を迎えるこの日をね」
和子が話しながら歩き出したので大和は後を追った。
「あなたが産まれた日、十八年前の今日、ちょうどこの時間よ。私は看護師としてあなたの出産に立ち会ったの」
コンビニの隣にある公園に入ると、和子はベンチに腰かけた。
大和も隣に座った。
「これも何かの運命ね。あなたがお母さんのお腹から出てきたとき、すぐに分かったわ。こんなことがあるのねって運命を感じたのよ」
大和は、黙って和子の話を聞いた。
「さあ、あの日の約束を果たすときがきたのよ」
「約束?」
「そうよ。この日まで私は待っていたのよ。あなたが成人するこの日まで」
「えーっと、約束というのは……」
「あなた、覚えていないの?」
大和は、バイトを始めた一年前のことを思い出していた。
その頃から、和子は店をおとずれては大和にねぎらいの言葉をかけてくれていた。
そのときに何か約束をしたのだろうか。
考えても分からなかった。
「すみません。忘れてしまいました」
和子は、怒ったりせずに穏やかに話を続けた。
「仕方ないわね。大昔のことだもの」
和子は、大和の方に身体を向けて大和の手を取った。
「生まれ変わってもまた一緒になろうね。あなたが私に言ってくれた言葉よ」
「えっ?」
「私たちは前世で愛し合っていたの。それも何度もよ。でも、あるときはあなたが若くして死んでしまって、またあるときは親に引き離されて、何度も何度も別れをくり返して、そのたびに、あなたは私に言ったのよ。『生まれ変わってもまた一緒になろうね』って」
大和の顔はひきつっていた。
「あなたにあやまらなくてはいけないことがあるの。私、何を血迷ったのか一度結婚してしまったのよ。でもすぐに離婚したわ。あなたのことを思い出すとなんてことをしてしまったのだろうと罪悪感に苦しんだわ。許してくれる?」
大和は、やんわりと和子の手をふりほどいた。
「えーっと、約束というのは、前世の約束ということですか?」
「ええ。そうよ。もし、信じられないのなら前世が見える人に見てもらいましょう」
「いえいえ、大丈夫です。仕事中なので」
立ち上った大和の腕をとった和子は、「こっちよ」と言って歩き出した。
振り切って逃げたいところだが、お年寄りを乱暴に扱うことができなくて言いなりになってしまった。
すぐそばの団地の中に入ると、和子は一階の部屋の扉を開けた。
「私よ」
和子は、部屋の中に向かって叫びながら靴を脱いだ。
「ほら、あがんなさい。私の知り合いの家だから大丈夫よ」
和子に腕を引っ張られて、大和は仕方なくスニーカーを脱いだ。
部屋に入ると、紫色の髪をした年配の女性がテーブルでおせんべいを食べながらテレビを見ていた。
「こちら、正子さんよ」
「あら、ずいぶん若い子を連れてるわね」
「私の運命の人よ。前世を見てちょうだい」
「どれどれ」
正子は、お茶をすすると大和と和子に椅子をすすめた。
そして、並んで座る二人の顔を黙って見つめた。
しばらくすると、正子が口を開いた。
「たしかにあんたたちは前世で恋人同士だったね」
和子は、満面の笑みで大和を見つめた。
大和は、苦笑いをするしかなかった。
「ただ、あんた」
正子が目を細めて大和に顔を近づけたので、大和は身を引いた。
「あんたは何人もの人と来世の約束をしてるよ」
「はあ」
前世? 来世? この人たちは一体何を言っているのだ。
大和は、あきれて声も出なかった。
そのとき、玄関の方から声がした。
「ああ、やっぱり、ここにいたのね」
今度は、和子の娘、久美子が現れた。
「お母さん、帰るわよ。どこほっつき歩いてたのよ」
久美子は、和子の手を取った。
「ごめんなさいね。うちのお母さん、妄想癖が……」
そう言いながら大和の顔を見た瞬間、久美子は凍りついた。
そして、前世の記憶を思い出した。
『生まれ変わってもまた一緒になろうね』
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