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冬になると寒さを忘れるために鍋ばかりを食べていた。味付けを毎日変えて、でも食材はほとんど同じだった。白菜とかねぎとか。
寒さのせいなのかアカネにも変化が生じてきていた。火曜日になると僕の部屋にやってきて、泣くのだ。僕に癒せるはずもないのに。
その日もアカネは僕の部屋で泣いていた。喋るでもなく、泣いていた。ただ涙が流れるという光景を僕はずっと見ていた。感極まるでも、嗚咽でもなく、小川のようにアカネの涙は流れた。
そのとき、記未の足音がした。そのあとでヒムラの足音もした。僕たちはそれを息を潜めて聞いていた。ドアが閉まると足音は消えた。僕とアカネは顔を見合わせたけれどもやっぱり話さなかった。
「悲しい?」
とアカネが意地悪そうに聞いてきた。
「別に?」
「ほら、君の心が泣いているよ」
と詩にまでしてくれた。
「自分だろ?」
「私たちも寝る?」
「そういう気分じゃない」
「性格が変に女っぽいよね。女のきょうだいいたでしょ?」
「姉がいたよ。死んでしまったけど」
「ごめん」
「いいんだ」
悲しくなんてなかったから。子供のときから僕を痛めつけて、叩き続けた。僕のほうが背が高くなった頃から叩くことすら止めた人。あの人たちがいなくなってもこの世界は天国ではなかった。一人でも、僕は寂しかった。足かせは外れたけれど、生きることに希望が見出せなかった。こんなふうに傍にいてくれる人をもっと早く見つければよかったのだ。そんなに簡単には見つからないだろうけれど。
アカネはノートに文字を書いていた。見てはいけない気がして目を逸らした。
「クロはどうしてるんだろう?」
僕は気になって尋ねた。ここは彼の部屋でもあるからアカネの部屋にいるほうが都合はいいのだけれど、涙顔の女を説得できるほど僕の口は上手く動かない。
「下にいるんじゃない?」
「そうか」
「悪いよね。私、出ようか?」
「いいよ。あいつといてもおもしろくないから」
「私といてもつまんないでしょ?」
「そんなことないよ。心が休まる」
クロよりはずっといい。
「本当はそういう人と一緒にいるべきなんだよ。何やってるんだろうね、私たち」
「ヒムラといても気が休まらないの?」
「うん、緊張する」
とアカネは告白した。
「そうなんだ」
「ボツは違うの?」
「緊張もするし、無気力になる」
「わかる。脱力してしまう。意固地にもなる」
そういう素直なアカネを目にするのは稀だった。火曜日のせいだ。だからそれ以上のことはせずなるべく近くにいてあげた。話していないと想像をしてしまう。それは苦しかった。大好きな人が自分ではない人と寝ている。それなのに悲しくも悔しくもない。ただ、苦しい。
「恋って苦しいな」
「今更当然のことを言ってるよ」
「恋をしてこなかったから」
「じゃあ初恋なの?」
「きっとそう」
と僕も告白した。
「苦しいね」
と言い合って眠ったのに悪い気分にはならなかった。同じ気持ちの人と眠ったからだろう。わかり合えるって、ちょっといい。
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