ぜったいにゆるさない

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 シャッターの目立つ夜の街を、一人の男が歩いていた。  具合でも悪いのか、青ざめた顔でキョロキョロと辺りを見回しながら、時折何もないところで躓きそうになりつつも、何かを探している。  やがて小さな建物へと続く階段のそばに置かれた、「霊媒師います」の看板を見つけると、男は周りに人がいないのを確かめながら、恐る恐る、階段を上り、その先の扉を開けて入っていった。  病院の診察室のような部屋の中には、一人の老人が座っている。扉を開けた男の姿を認めると、にこやかな笑顔を浮かべていたが、一瞬その表情を強張らせ、そしてすぐまた微笑んだ。 「いらっしゃい。 えぇ、ようこそいらっしゃいました。 まぁどうぞおかけください」 「はぁ……」  すすめられた診察椅子に座ると、男は部屋の様子を訝しげに見回す。 「あの、ここは有名な霊媒師さんの仕事場だと伺ったのですが……」 「はい、間違いありませんよ、私がその霊媒師です」 「はぁ、しかし、本当に……」  男は思わず口を滑らせ、すぐにしまった、と慌てて謝罪したが、老人は特に不快に思った様子もなく笑った。 「いえいえ、貴方の言いたいことはよくわかりますとも。 ここに来る方は皆そうです、私のような者に頼りたいけれど、騙されているのではないかと不安になる。 ご安心ください、お代は貴方のお悩みが解決してからで結構です。 何も取られなければ、損をすることもないでしょう」  都合のいい老人の言葉に男はなおも訝しげに返事をするが、ここで疑っても始まらない、と腹を括ったのか、しばらく黙ったのち、かすれた声で話し始めた。 「実は私……人を、死なせてしまったのです」 「成程、相手は女性ですね? それも……貴方の恋人か、それに近しい人だ」  老人の相槌に男は驚くが、その目が自分の後ろ、何もないところを見つめているのに気付くと、頭を抱えた 「あぁ、やはりいるのですね……ではやはり、私は呪われているのですね」 「確かに、かなり強い思いを貴方に持っておいでですね。何があったのです」  老人の追及に頭を抱えたまま黙りこむが、すぐにポツポツと語り始める。 「貴方の言うとおり、彼女は私の恋人です。 けど私が殺したわけじゃありません。 ただ別れ話がこじれて、貴方には私が必要だ、私を捨てるなんてゆるさない。 死んでも離れない、なんて叫ぶ彼女を放っていたら、通ってきた車に自分から飛び込んで……」  即死でした。そう小さくつぶやくと、男は顔を上げる。その顔は入口で見た時より青ざめて見えた。 「それ以来、彼女がずっと私のそばにいる気がしていたのです。 それだけじゃない、最近では一日の殆どがこうして具合が悪く、医者に行っても治りません。 体は重くなる一方で、今でも寒くて死にそうなのです」 「成程、それは確かに彼女の霊の仕業ですな、貴方の後ろで、今も貴方に強い呪いをかけています」  老人の言葉に、男はすがるように老人の服を掴む。 「お願いします、どうか除霊をしてください。 このまま死ぬのはごめんだ」 「お気持ちはよくわかります……ですがこれだけの強い怨念、私には祓い切れません。 せめて、これを」  そう言って老人は男の手に、真っ黒な数珠を掴ませた。すると男の顔色は先ほどよりましになったように見えた。 「おぉ……すごい、さっきより少し楽になりましたよ」 「決して手放さず、霊への謝罪を欠かさぬようにして、なるべく大人しく過ごしなさい。 私にできるのはそれが限界です」  男はお礼を言って、来た時よりもやや軽い足取りで帰って行った。  それから二日間、言われた通り男は数珠を手放さず、部屋の隅でじっと大人しくしていた。  だが二日目の夜、男は慌てた様子で走りながら、再び霊媒師の元を訪れた。 その顔は泣きそうになっていて、手に持っていた数珠は千切れ、玉の殆どがなくなっていた。 「なんと、もう壊れたのですか、やはり彼女の怨念はよほど強いようです。 あれがだめでは私には手の施しようが……いや、それよりも……あぁ、なんということだ、こんなことが……」 老人は吃驚した様子で男を出迎えたが、すぐにその後ろを見て愕然とした。 そこには二日前にいた幽霊に加え、同じくらいの怨念を放つもう一人の幽霊がいたのだ。 「とんでもない人だ。貴方、もう一人死なせてしまったのですか」 「私のせいではありません。 ベランダで死んでいたのです。 私にいつも言い寄ってくる上の階の住人だったのですよ。 想いに応えない私を絶対にゆるさない、呪い殺して一緒に死んでやる、などと手紙を書いていたのです。 先生、助けてください、私はどうなってしまうのですか……」 「こんなことは初めてだ、まぁ落ち着きなさい。 体の調子はどうですか」  老人に言われ、男がふと体を確かめると、昨日まであった寒気も、けだるい気分もすっかりなくなり、体は軽く、顔色はすっかり良くなっていた。 「これはどういうことですか、先生。 まさか除霊が済んでしまったのですか?」  驚きと喜びの混ざった表情で老人の手を取るが、老人はまだ男の後ろを眺め続けている。 「いえ、そうではありません。 どうやら貴方に憑いた恋人は、本当に貴方への思いが強いようだ」 「え、それでは彼女が……」 驚き後ろを見る男に向けて、老人は続ける。 「そしてその上の階の住人だという女性も同様です。 二人ともよほど、貴方が他の女に取られることが許せないらしい。 先ほどからずっと、貴方をほったらかしで、後ろで取っ組み合いの喧嘩をしていますよ。 あの様子なら、代わりの数珠は必要ないでしょう」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加