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夏は嫌いだ。
夏の夜は、もっと嫌いだ。
汗で肌に張りついたTシャツを指先でつまみ、うちわで扇いだ風を腹へと送り出す。
枕の下からスマホを引っ張り出してタップすると、暗闇に『AM1:55』と表示された。
朝までまだ全然あるじゃねぇか。
部屋に微かに残る冷気はほぼ消えてなくなっている。夜、親がオレの目を盗んでエアコンのおやすみ設定をしているのは知ってるけど、せめて朝方までにしといてくれよ。
めんどくせえなと思いながらリモコンを探そうとしかけた、その時。
「起きちゃったの?」
上から声がした。
ギシ、と身体を動かしたらしい軋みまでセットで聞こえて、ひょっこりと黒い影がおりてきた。まるい影に少し遅れて髪が逆さに落ちる。
「あんたホンット暑さダメだよね」
そうけらけら笑うのは、三歳上の姉だ。
まだ闇に慣れていないオレの目はその顔を捉える事ができていない。
でも姉からはしっかりオレが見えているようで、ゆらりと動いた手の影がオレを指しているのがわかった。
オレはフンと鼻を鳴らす。
だから夏の夜は嫌いなんだ。
まだランドセルを背負っていたガキの頃から、姉は暑がりのオレをからかってくる。
「寝苦しくて起きるくらいなら、リモコン隠しとくとか頭使えばいいじゃん」
「あんたももう中三なんだからさー、子ども部屋もわけたいよね。二段ベッドとかマジ勘弁じゃない?」
「勉強はまぁいいかもしれないけど、ベッドはねえ。オトコノコだしさ?」
どうにか眠りに戻ろうとしているオレを無視して、姉はベラベラと話し続けている。
三年前くらい前から、夏はいつもこうだ。
だからよけい夏の夜が嫌いになった。
「ねーえー、無視ぃ?」
「気分転換になると思って話しかけてあげてるのにぃ」
「あたし? あたしは夏には強いもん。冬は苦手だけどね」
「寒いとキレたくなるよねー。その点夏はいいよ、活動的になれる」
知ってる。
冬の朝はいつまで経っても起きてこなくて、おまけに寝起きも最悪だから親も起こしに来なくて、オレが仕方なしに掛け布団を剥がす。
すると姉はいつだってミノムシみたいに丸くなって震えている。
「マジでガン無視じゃん」
いつまでも答えないオレにしびれをきらして、姉は笑いながらも不満げな声を漏らした。
エアコンの冷房を効かせるためにしっかりカーテンを閉じているから、月明かりが室内に入ってくることはない。
だからまだ全然姉の顔が見えない。
いつものように笑っている事だけはわかる。
姉の笑顔には特徴があって、オレは昔から苦手だった。
丸い目は三日月のように綺麗に孤を描く。口角もしっかりあがって、イラストにしやすそうな顔になるんだ。
オレはアレがずっと苦手だった。嫌いじゃない。でもずっと苦手だった。
それからも何やら楽しそうに話し続ける姉を、オレは無視し続ける。
ギシ、とまた軋んだ音がした。
首を動かすと、姉の影はなくなっている。
「ったくもぉ~、冷たいんだからあ」
ブツブツ呟く声がこもって聞こえるから、このクソ暑いのにタオルケットを被っているんだろう。
冷たいんだから、じゃねぇよ。
答えるわけにはいかないだろ。どうしろってんだよ。オレはまだこっちにいてえんだよ。
だから夏の夜は嫌いなんだ。
オレは小さく呟く。
――オレ、もう高三だよ。
三年前の夏に死んだ姉に、聞こえないように。
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