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▶始
夕蛍、宵蛍、蛍舟……
〝誰にも教えたくない秘密の避暑地が今熱い!〟
夏の季語を手当り次第に並べ、何処か癪に障る謳い文句と小川に無数の蛍が飛び交う写真が印象的で幻想的。
そんな旅行パンフレットが並ぶ酸素の薄い都心で、忙しなく流れる時間を過ごし、記録的な猛暑などに疲弊した現代社会を生きる人々にはさぞ輝いて見えたのだろう。
このタイムスリップでもしてきたかのような自然豊富な村には考えられないほどの観光客が集まった。
唯一の観光スポットである神社で、一風変わった夏祭りが行われる。
などと、SNSで爆発的な人気を誇るインフルエンサーが写真付きで呟き、また短い動画と流行りの曲に合わせて投稿したことが多大なる影響を与えたようだ。
夜を華麗に泳ぐ生物発光の群れと、その残光が自由に描く自然のアート。
その中で手を広げ空を仰ぐ女性の写真と共に、
#蛍 #エモい夏 #光蛍神社
そんなタグが合わせられていた。
情報社会の世の中だ。その一件の投稿はすぐに何十、何百万もの反応をカウントし、たちまち話題となって朝昼の情報番組もこぞって取り上げ特集すれば。
自由研究の題材として、蛍を見たことがない子供のためにと家族連れが多く訪れた。
また若いグループやカップルが携帯電話を片手に短い動画や写真を撮っていたり、手を繋ぎながらその世界に浸る。
そして仲の良さそうな夫婦が懐かしむように会話を弾ませていた。
しかしそんな人気はすぐに去ってしまう。
何故ならば、妙な噂が後を絶たないからだ。
「摩訶不思議な秘密の館」
「神隠し」
「人を食う鬼」
兎に角、一度足を踏み入れると帰れないというもの。
そうすれば客層はがらりと変わり、検証してやろうと躍起になった動画配信者やブロガー等から。密かに第二次ブームともなったのだが。
結局何の収穫も得られずにこの村の夏祭りは、また内輪だけの囁かな区内行事と化したのだった。
そんな静けさがすっかりと戻ったこの地で、何食わぬ顔をして歩く男が一人。
時間、道順、左手に持った蛍草と条件をこなれた様子で満たしてゆく。
装着したワイヤレスイヤホンからはアンダーグラウンドなヒップホップを垂れ流しながら。
「あーあ、せっかく都会の可愛い子と遊べてたのに。もう何の楽しみもねぇじゃん。あー田舎、あー長閑」
煩わしいと心底表情は歪み、独り言でも吐いていなければやっていられない心境なのだ。
それだから肩がけした通学鞄もまるで鉛のように感じてくる。
明るい髪色にくせっ毛を跳ねさせて、学生服と憂鬱な雰囲気を纏いながら。
「あーエモいエモい、そんでチルいわぁ……。いやぁ歩くの、だっる」
疲労とストレスが蓄積する自身を慰めるよう音量は更に上がってゆき、また徐々に街灯が少なくなる方向へと足を進めて行けば。
道の悪い不気味な森がいつものように待っていた。
そんな男が向かう場所は摩訶不思議な秘密の館……。
「くっそ、紙屋も楽じゃねぇわ。てか何時だよ今……」
右手に持つ携帯電話の画面で時刻を確認した。
『 sucker 』
▶始
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