今はただ、背中を預けるだけでいい

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「……まだ雨が酷いから、ね」  ──何言ってんだ僕は……?  僕は内心、今心臓が爆発しそうだというのに、なぁにが「……まだ雨が酷いから、ね」だ。余裕ぶってる余裕なんてないくせに。別に先輩の威厳とか、男としてのプライドとかではない。……不本意だけど王子やってる時の癖に助けられた。  人って、周りの人間に感化されるんだなぁ。と、改めて思った瞬間だった。 「そ、うですね。まだ雨が酷いので、もう少しいた方がいいと思い……ます」  俯きながら若干口を尖らせる仕草が可愛く思えて仕方ない。  それに。と、耳をすませる。  雨音なんてほとんど聞こえないのに。  チラリと横目で時計を見ると、結構な時間。この距離からじゃ、もう終電を逃すだろう。彼女はそれを知ってか知らずか引き止め……いや、多分知らない。 「じゃあ、もう少し」  帰りはタクシーを呼べば済む話だ。だから今日は、お互いの気がすむまで一緒にいたいと思った。  ふと時計を見ると── 「あああ‼︎ 終電‼︎」  そんなのなんてとっくになくなっている時間だった。 「どうしよう。ごめんなさい! どうしよう」と、うろたえるわたしに先輩はサッと、スマホの画面を見せた。何やら電話番号が並んでいる。 「タクシーで帰るから大丈夫だよ」 「あ! じゃあタクシー代……」  先輩はスマホを耳に当て、しぃー。と人差し指をたてた。どうやらタクシー会社に電話してるらしい。  やっと電話が終わったのを見計らって財布を出すと、心底困った顔をされてしまった。 「ご飯ごちそうになったし、洗濯もしてもらったのにこれ以上は僕が納得できないんだよ」 「洗濯は、わたしのせいで濡れたんだから当たり前ですよ! ご飯は……ごはん……は……」  ご飯は、なんでだっけ?  言い淀むわたしに、先輩は言う。 「じゃあ、お願いがある。僕のブレザーを取ってきてほしい」 「え?」 「ほら、急いで!」と急かされて、言われるがまま脱衣所へ走る。途中コケかけて、後ろから「大丈夫!?」と声が上がったけれど、コクコク頷いて脱衣所に入り、洗濯機を覗き込んだ。  そして察した。 「あー……」  わたしの下着も入ってたんだった──……。  先輩はきっと最低限の物だけ身につけて出てきたんだと察しつつ、とんだ下着お披露目会を開いてしまった自分を恥じる。  しわを伸ばしてブレザーを先輩に渡す頃にはわたしの顔は熱くて熱くてたまらなかった。とてもじゃないけど、先輩の顔は見れなかった。 「どうぞ」 「あ、ありがとう……」  先輩の声音からして、わたしが全てを察したのがわかったらしい。  頭上で衣擦れ音がする。 「しわ、またのばしてくれてありがとう」 「また?」  思わずきょとんと顔を上げると、照れ臭そうに先輩はブレザーを撫でた。 「初めて届け物してくれた時も、すごく綺麗にしわがのばしてあった。気配りって気づいて、嬉しかったんだよね」 「そんな大げさな……」 「大げさじゃないよ。君は──美幸ちゃんは自分が気づいてないだけで気配りができる優しい子だよ」  なんて返事をしていいかわからないうちに、先輩のスマホが鳴った。 「タクシー着いたみたい。じゃあ、色々ありがとう。ご飯もおいしかったよ。また、学校でね」  あっさりと閉まった玄関のドアがを見つめ、わたしはしばらく立ち尽くした。  布団に入ると、スマホが震えた。 「父」の表示を見て、スマホの電源をきった。  離婚。再婚。結婚式──。  母から連絡がこないあたり、わたしは「戸籍上」は父に引きとられるのだろうな。と、ぼんやり思った。 「戸籍上はね」と、自分に言い聞かせる。そして何度も実感する。 「ああ、ひとりだ」って。  でも──……。  先輩の顔が頭をよぎる。  涙と同時に、胸がとくん、と鳴った気がした。
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