今はただ、背中を預けるだけでいい

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 ……柵を殴った拳が熱い。でもそんなの気にしないくらい、僕は頭に血が昇ってたんだと思う。  こんなに低い声出たんだな。と、自分でも驚くくらい地を響かすような暗く黒い声が出た。けれど、そこまでして唸るように出た「もう許さない」も、柚音にはまるで効果はなかった。 「なんで?」  元カノは相変わらずちっとも悪びれた様子もなく続ける。 「なんであたしが怒られてんの? あたしはゆうすけのためにしたんだよ?」 「は……?」  言葉が出なかった。 「ゆうすけについてた虫を駆除してあげようと思ったの」  屈託のないその笑顔に思わず、ひゅ。と、息が止まった。背筋が凍りつくようだった。けれど今は固まっている場合じゃない。  美幸ちゃんを守らなきゃ── 「誰かいるのー?」  丁度いいタイミングで先生が帰ってきた。  柚音は舌打ちをして窓を乗り越えて出ていった。  カーテンを開けられてまず1番最初に僕が疑われた。色々と。美幸ちゃんの否定と状況説明のおかげでなんとか疑いは晴れたけど……。    美幸ちゃんはというと──……  首に赤黒くついた手形や腫れ上がった顔。よく見ると鼻血も出ていた。   「応急処置はしといたから、あとは病院ね……。今、親御さんに連絡をとるから──」 「いいです!! 病院なら1人で行けます! だから親は呼ばないでください!」  ものすごい剣幕の美幸ちゃんに押されて、先生は困惑していた。どうするのか決めかねているようだ。  少し逡巡した素振りを見せて、「本当に病院行く?」と、先生はため息混じりに言った。  小さく頷く彼女に、先生は根を上げたようだった。  融通のきく先生でよかった。  病院の待合室で、わたしはホッと息をついた。  ……本当は来たくなんてなかった。けれど、1人で帰宅する条件が、「先生に領収書を見せること」だったから仕方なく来た。  ──藤崎先輩も一緒に。  先輩も同じく領収書を出すのを条件に一緒に病院に送りになったのだ。  ベッドの柵を殴ったために拳にヒビが入ったか、入ってなくても打撲ぐらいはしてるだろうというのが先生の見解だ。  幸い病院は混んでいなかったし、わたしの状態を見た受け付けの女性がお医者さんに伝えてくれたおかげで優先的に診てもらえた。  帰り道──。  先輩がふと口を開く。 「僕のこと怖くないの?」 「なんでですか?」  わたしは道端の小石を蹴りながらそう答えた。  不意に先輩の歩みが止まる。  振り返ると、先輩はわたしの様子に戸惑っているようだった。それから、後悔やら罪悪感やらの感情も見てとれた。 「助けてくれてありがとうございました」  あっけらかんと笑うわたしに、先輩は最初唇を噛んだ。……その後、大粒の涙目をぼろぼろと流し始めた。 「ちょっ──」  急いで駆け寄る。 「ごめんね……」 「いや大丈夫ですから!」 「僕のせいだ……」  なんだか、わたしが泣かせたみたいじゃん……。  何の因果か縁なのか──……。  小さな子供のようにしゃくりをあげて泣く先輩を、わたしはまた家にあげることにした。  ……少なくとも公衆の面前で泣かれるよりマシだったから。
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