今はただ、背中を預けるだけでいい

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  逃げるように去っていったあの子の背中を見送ったまま、僕は自販機の前で立ち尽くしていた。 「ゆうすけだぁ〜」  ねっとりと甘ったるい声と柔らかな感触が体に絡みついた。 「……柚音(ゆね)ちゃん」 「む。ちゃん付けしないで呼んでっ」 「付き合ってた時みたいにさぁ」と、付け足された言葉にため息がでた。 「別れる時に、もうそういうのは無しって言ったよね?」  元カノは不満そうに口を尖らせる。 「そもそもあたしは別れたくなかったし」 「でも別れたでしょ」 「そぉだけどさあ〜」  絡みついた腕をほどいて距離をとり、あからさまに拒否の意思を示すと、柚音は黙って腕を組んだ。そして睨み付けるように目を(すが)め、僕に問う。  ──さっきまでの猫撫で声が嘘のような、冷たい声で。 「ゆうすけは、あたしの何がそんなに嫌だったの?」  何がそんなに嫌だったか──? そんなのきまってる。 「そういうとこ」  また名前を聞きそびれた。  帰宅早々床に転がり、振り払われた手を天井にかざしてみる。  怯えたような、顔だった。どこか悲鳴にも似た、嫌悪のニュアンスを含んだ声だった。  ……悪いことしたな。  深いため息を何度ついても、胸のもやもやが晴れる気配はない。  謝った後の、あの子の顔が忘れられない。  あの、絶望と虚無に満ちた顔が──。  幸か不幸かそのすぐ翌日の昼休み。屋上で、僕らはまた顔を合わせることとなった。どうやら変な縁があるらしい。  小柄な背中を見つけて踵を返そうとした時には遅かった。 「あ! あんときの子じゃーん!」 「やっほー!」と、前を行っていた圭が大きく手を振った。  ちらりと振り返ったあの子はぎょっとした顔で、まるで壊れたロボットのように会釈を返した。思わず足が止まった。そりゃそんな顔にもなるだろう、と。  ……多分、今僕も同じ顔してるもの。 「ん? どしたのお2人さん?」  事情を知らない圭は、僕らの間できょとんと首を傾げた。 「ねえ圭、戻ろうか」 「なんで?」 「いいから」  困惑する圭の腕を引くが、表情を更に曇らせるだけで動こうとしない。 「圭──」 「いいです! わたし、もう行くので!」 「え、あの! ちょっと待って──」  すれ違いざまのその肩をまた掴みそうになって、ハッと手を引っ込めた。  呼び止められたあの子はなんとも言えない顔で固まっている。上級生に声をかけられて、動くに動けないといった様子だ。  僕は努めてゆっくりと歩み寄り、これから開けるはずだったお茶のペットボトルを差し出した。 「これ……お詫び」 「あ……ありがとうございます……」  一瞬引っ込んだ小さな両手は恐る恐るといった所作で、それを受け取った。  流れる葬式のような静寂をぶち破るのはやっぱり圭だった。 「なになに!? 仲良くなったの!?」 「ちがいます!」  そう言い放って、あの子は階段を駆け降りていった。  呆然とする僕に、圭は顔を引きつらせた。 「あーっと……俺、なんかやらかしちゃった感じ……?」  僕はただ力なくため息をついた。
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