今はただ、背中を預けるだけでいい

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「なんで!」  階段をかけ降り、息を切らせたわたしの口から最初について出たのはそれだった。  なんで来るの──!?  あえて付け足すのなら、「よりにもよって昨日の今日に!」だ。気まずいことこの上ない。こんな短時間で切り替えられるほど、わたしは大人じゃない。  けれど、それはあっちも同じらしかった。先日の余裕はどこへやら。ぎょっとした顔でわたしを見ていた。  ……けれど。  と、手の中のぬるいお茶を見る。 「『お詫び』って、言ってた」 『お詫び』──か。ああ、なんてタイムリーなんだろう……。  わたしは崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。  お茶のラベルから、ぽたりと水滴が落ちた。 「ほんと、なんで今なの……」 「押し付けがましかったと思う?」 「え!?」  隣でスマホをいじっていた圭が、バッと顔を上げた。友達だからわかる。『信じらんねえ。こいつなのか?』と、いう顔だ。  圭は、うーん。と口をへの字に曲げて、考えあぐねているようだ。 「……君ら、なんかあったん?」  端的に、ことの顛末(てんまつ)を話すと、圭は顔を引きつらせた。『めんどくせえことになってんな』と、いったところか。本当にわかりやすい。  取り(つくろ)うように圭は一言、 「……ま。大丈夫じゃね?」  と、笑った。  翌日の帰り道。 「あー……っと、佑助くーん?」  唐突(とうとつ)に圭に呼び止められた。圭の顔は引きつっていた。嫌な予感しかしない。  片手にはスポーツドリンクが握られていた。小さく折って貼り付けられたルーズリーフの切れ端が、今にも落ちそうにぶら下がっている。 「これ、あの子からでーす……」  気まずそうに手渡されたそれを受け取り、メモを開く。  そこには小さな丸っこい字で “ごめんなさい。受け取れません”  と、書かれていた。  正直凹む。直接じゃなくて人づてなのが逆に、こう、心にくる……。  ──けれどすぐに気づいた。3行下の“2の2佐倉美幸(さくらみゆき)”の文字と、スポーツドリンクの意味に。  思わず苦笑してしまった。 「嫌われてないみたい」 「え!? 受取拒否されてますけど!?」  あの時渡したお茶ではなく、わざわざスポーツドリンクで返してきた理由は多分──……。  僕は額ににじんだ汗を拭った。  ──可愛いなあ……あー……  続きそうになった言葉に気づいて赤面した。いやいや、ありえないでしょ。って。  いやいやいや、出会って2日だぞ? しかも全然関わってないのに……僕チョロすぎない? でもなんて言うんだっけ、こういうの。「一目惚れ」ってやつ? ……いや、ないない。  1人、脳内会議を開く僕をよそに、思い出したように圭が手を叩いたそれで我に返った。すん、と顔の熱が下がった気がする。とりあえずは落ち着いたことに安堵した。 「思い出した。あの子だったんか」 「なにが?」  圭は逡巡(しゅんじゅん)した後、口を開いた。 「2年の『幽霊ちゃん』」  ひしゃげたロッカーを開けると、案の定ラクガキまみれだった。いつも通り、地道に消していく。  嘲笑う女子達の声が遠ざかっていった。  これが、日常──。  2年の、ほんとに最初の頃だ。わたしは突然「幽霊」になった。誰もわたしに話しかけないし、見ようとしない。けれど、たまにこういったことが起こる。  ……こうなった原因はわからない。わたしに落ち度があったのかもしれないし、無かったかもしれない。……あの様子からして、ただ暇つぶしのターゲットに選ばれただけなのかもしれない。面倒ごとが嫌なのか、担任も見て見ぬふりをしている始末だ。  藤崎先輩の顔が頭をよぎる。スポーツドリンク、渡してもらえたかな──なんて。  でもすぐに(かぶり)を振った。    わたしの名前は「幽霊ちゃん」。    ……なのにさ 「なんで『』、書いたんだろ……」  人気(ひとけ)のなくなった廊下で、わたしは独りごちた。  ひしゃげて閉まりにくくなったロッカーの扉を強引に閉める。  わたしは「幽霊ちゃん」。  だからこれで──終わり。
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