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「……全く、砂羽は口うるさいな。あれは俺の母親か?」
砂羽の姿が見えなくなった途端愚痴を口にする竜輝。
梓は少し困ったように眉尻を下げながら苦笑する。
「でも気をつけなければならないことは確かですから」
そう言って注意を促すが、幸せそうに笑む竜輝には届いているのかいないのか。
「まあいいだろう。……おいで、梓」
「……竜輝様、今は招と。知られないようにと注意されたばかりではないですか」
やはり届いていなかったのかともう一度気をつけるように言いつつ、梓は言われるままに彼に近付いた。
「今は二人だけなのだから良いだろう? やっと想いが通じ合ったのだ。俺はお前を愛でたくて仕方ない」
「っ! でも……あっ」
竜輝の言葉を嬉しく思いつつ、それでも今は駄目だと口にしようとした。だが、腕を引かれ彼の胸へと飛び込むような形になる。
梓を受け止めた竜輝はそのままぎゅうっと柔らかな体を抱き締めた。
「嫌われたと思い一度は諦めようとしたのだ。それが諦めなくても良くなったのだから多少浮かれても仕方のないことだろう?」
「多少……ですか?」
これは多少どころでは無いと思うが、と疑問を口にする。
仕事中だというのにこの様に抱き締めるのだ。かなり浮かれているのではないだろうか?
「……まあ、相当浮かれているとは思う」
渋々認めた竜輝に梓はクスリと笑い、彼の鮮やかな緑の目が見えるように顔を上げた。
「今私は招で、竜輝様はお仕事中です。こういうことは後に致しましょう?」
「……」
少なくとも今は駄目だと告げたが、竜輝は無言でじっと梓を見下ろすだけ。
「竜輝様?」
何を思っているのかと小首を傾げると、彼の口元がふっとほころんだ。だが、その翠の目には僅かな意地の悪さを感じる。
「口づけを」
「え?」
「梓が口づけをしてくれれば、仕事を頑張ろう」
「な……」
まるで駄々っ子のような交換条件。
「してくれないのか?」
でも、その誘いは梓の中に甘く響く。
トクリと、鼓動がわずかに早まった。
「……触れるだけですよ?」
愛しい人の願いに抵抗する術はなく、甘い囁きに誘われるまま梓は竜輝の頬に手を添える。
もはや鱗はなく、肌理の細かい肌はするりと梓の手を受け入れた。
「ああ……それでいい」
梓の手に頬を預け、彼は優しく妖艶に微笑んだ。
その微笑みに引き寄せられるまま、顔を近付ける。
吐息に恥じらいが顔を出したが、思い切って唇を触れ合わせた。
すると背に回されていた竜輝の腕に力が入り、また強く抱き締められる。
その様子に梓は思った。
(触れるだけの口づけで終わってくれるかしら?)
と――。
了
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