マナ

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マナ

「マジでビビったよ。コンビニで買い物してたら急にゾンビが入ってきてさ」  店で購入したばかりの――いや、会計していないから盗んだことになるが――プリンを食べながら、マナがまくし立ててくる。 「最初はハロウィン的なやつかと勘違いしちゃってて。気にしないで買い物続けてたら、フツーに店員さん襲われて腕千切られてるから、これはヤバいやつだって逃げてきた」  ほら、サクも栄養補給しなよ、とエナジードリンクの缶を渡してくる。礼をいって受け取り、咲文はマジマジとマナの顔を見た。どこにも傷はない。血も付着していない。首から下も、攻撃を受けた痕跡がない。身につけているTシャツとホットパンツも綺麗だ。裸足の踵が、靴擦れで皮が剥けているくらいで。 「――よく無傷で逃げられたな。ゾンビの数、多かっただろ。動きも速いし」 「うーん、なぜか分かんないけど、奴ら、私のことはガン無視してたんだよね。追いかけてこなかったし」 「え? 嘘だろ」  俄には信じられなかった。ゾンビたちは正常な人間を見つけると、脊髄反射で襲っていた。窓から観察した限りでは。 「ほんとほんと。何か違いがあるんだろうね。襲われる人と私に」  マナが腕組みをしながら唸っている。 「絶対に襲われないっていうなら、一人で行動したほうが良いんじゃないの。俺は襲われるタイプかもしれないし――俺といることでとばっちりを食うかもしれない」  マナがこの部屋を訪れた理由は、咲文と一緒に行動したいから、だそうだ。でも咲文に彼女を守れる自信はなかった。それどころか、足手まといになりそうな予感がする。 「サクって車運転できるでしょ。私は免許持ってないし」  媚びるような上目遣いをしてくる。目的はしっかりあったのだ。  車の運転は上手いと言うより慣れている。咲文は営業職に就いていて、毎日のように車で取引先を回っているのだ。 「遠くまで行きたいのか。車ってことは」 「うん、実家に帰りたいんだ。S県なんだけど」 「そりゃ遠いな……」  東京駅から新幹線で一時間半はかかる距離だ。車だと高速を使っても三時間は要するだろう。 「新幹線、動いてないかな」  言いながら、咲文はスマホを手に取った。一縷の望みをかけてブラウザを開く。が、やはりネットに繋がらない。 「ネット繋がらないよね。電話も通じないし」  ため息を吐きながら、マナがわざわざスマホの画面を見せてくる。待ち受けはマナの決め顔だ。キャバ嬢をやっているからか、化粧が濃い。今のすっぴんの方が数段可愛いと思う。 「大学やってるのかなあ。やってないよねえ、こんな状況じゃ」  伸びをしながら、マナがフローリングに寝っ転がる。この部屋には、座れる場所が床とシングルサイズのベッドしかなかった。 「それにしてもさあ、サクの部屋って何もないよね。引っ越してきてもう半年経ってるのに」 「家具買うのにも金がかかるし。そこまで必要性を感じないんだ」  今一度殺風景な自分の部屋を見渡す。二畳のキッチンスペースには食器棚がない。室内にある電化製品は、単身用の小さい冷蔵庫と、その上に設置している電子レンジ、そして床に直置きのテレビだけ。棚やテーブルがあれば、外部からの侵入を防ぐために玄関のドア前に置くことも出来たのだが、ないからどうしようもない。気休めだが、鍵はもちろんのこと、チェーンも掛けている。 「ま、物がないから片付いてて良いね。私の部屋とは大違いだよ」 「マナの部屋は散らかってそうだな」 「否定できないのが悔しい」  マナのペースに乗せられて軽口を叩いてしまう。こんなことをしている場合ではないのに。  ――これがただの悪夢だったら良いのに。  どうせなら、諒と別れたことも、彼が結婚したことも、悪い夢だったら。  彼と住んでいた部屋は、もっと温かみがあってリラックスできる憩いの場だった。座り心地の良い二人掛けのソファがあって、その向かいには大型テレビが設置されていた。週末は二人でいつも映画を鑑賞していた。八畳の寝室には、二人で購入したダブルベッドが置いてあって、そこで五百回以上はセックスした。週に一回はしていて、それが十年だから。 「ねえ、サク。さっきからテレビ、ライブカメラしか流れてないよ。キャスター出てこない」  マナの声にハッとする。慌ててテレビに視線を向ける。T区の荒廃した商店街が映っている。残虐に胴体を抉られた遺体が、起き上がって歩きだしているところだった。その後に違う区のライブカメラが順番に流れる。いくら待っても、キャスターの顔が画面に映ることはなかった。他のチャンネルも一応見てみるが、さっきと変わらなかった。 「もうテレビも全滅だな」  咲文はテレビの電源を切った。 「そろそろこの部屋もマズイだろ。違う場所に移ろう」  救急箱を開け、必要になりそうな絆創膏、消毒薬、湿布、鎮痛剤をデイバッグの中に詰める。冷蔵庫からは、ミネラルウォーターのペットボトルをあるだけ取り出す。 「あ、絆創膏使えよ。踵に」  一枚切り取って、マナに渡す。 「ありがとう。サクってやっぱり気が利くね」  少し上から目線な褒め方だ。こういうマナの物言いには慣れているので、いちいち怒ったりはしない。彼女には、八歳年上の咲文を敬う気が全くないのだ。  咲文はマナが絆創膏を踵に貼って、彼女が持参したスニーカーを履いている間に、キッチン下の収納から、包丁と果物ナイフを取り出して右手に持ち、ブリキのゴミ箱の蓋を左手に収めた。 「銃があればなあ」  マナが呟いたとき、玄関の外が騒がしくなった。
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