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果たして男を出迎えたのは、部屋の中と変わらぬ蒸した空気であった。扉の向こうには誰もおらず、踊り場の手すり越しに宵闇が広がっていた。
「誰もいないのか」
夏野菜を思い描いて少し冷却された怒気が再び熱を帯びてきた。男は怒りに任せてドアノブを引いたが、扉がドア枠にぴたりと嵌まるほんの一瞬手前で足音が聞えてきた。
すぐに玄関から身を乗り出して足音のする方を見ると、階段を駆け下りていく人影が見えた。水平線に沈む太陽のように、踊り場の向こうに頭のてっぺんが消えていくところであった。
待て、と追いかけようとしたとき、足元にあった何かを蹴とばした。
木箱であった。拾い上げると手のひらに収まる、小さなものである。
蓋一面を使って漢字で一字、「涼」と墨で書いてある。なかなかの筆遣いだと感心せざるを得ないほどであった。しかしそれ以外、箱には何も書かれておらず、荷運びの伝票なども貼られていない。
一体これは何なのだろうか。人を玄関に呼びつけておいて、運んで来たであろう当人は姿を消し、こんなふざけた箱を置き去りにするとは。
よほどの品でなければ許さんぞ、と顔も分からない運び主への怒りを熱しつつ、男は木箱を開けた。
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