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五章 蜜月
十二月二十五日。
かつん、と何かが窓ガラスに当たる音がした。気のせいかと思ったが、かつん、かつん、かん、かん、と音が大きくなっていく。時刻は午前零時五分。薄ら寒いモノを感じたが、私はカーテンを開けて、外を見た。誰か居る。私はその人物に見覚えがあった。まさか、と思いながら、窓を開ける。
『ふーみーちゃーん。あーそびーましょー』
一年前に死んだ聖さんがにっこりと笑って手を振っていた。私が聖さんを見間違えるはずがない。『アレ』は聖さんだ。
『降りといでー。車の鍵持って降りといでー』
「おおおおおおおおうおうおう今ァ行ったりますぁ!」
どうして、会えて嬉しい、おばけ怖い。
三つの感情が綯い交ぜになり、私はまともに喋れなかった。車の鍵を持ち、パジャマの上にコートを羽織ってホテルを出た。
「ハハハ、お前、ちっとも変わんないのな」
聖さんは少年のように笑った。
「・・・おばけ?」
「みたいなもんかな」
「何しに来たんですか」
「お前に会いに来たに決まってるだろ。期限は一日。邪魔が入らなきゃ二人でゆっくり過ごせる」
生前の彼、そのままだ。病に蝕まれ、死がすぐ傍に居ても、飄々として軽口を叩いていた。
「あんまり人目につくわけにはいかないんだ。お前の車に匿っておくれよ」
「いいですよ」
「それから、お前はきちんと寝ること。俺は綺麗な肌の女が好きだからな。分かるだろ?」
「はい。じゃ、これ車の鍵です。おやすみなさい」
「おやすみ」
私は自室に戻り、寝ようと努力したが、一睡もできなかった。翌朝、五時。ホテルを出て車の中を覗き込む。後部座席で聖さんが寝ていた。私は運転席のドアを開け、中に入る。
「おお、おはよう」
「おはようございます」
私がドアを開ける音で起きたらしい。聖さんが座る。
「聖さん」
「んー?」
「どうして、会えて嬉しい、おばけ怖い」
「ハハハ!」
笑うとどこか幼く見える顔が愛おしくて胸が安らぐ。
「相変わらず素直だな。一つずつ消化していこう。『どうして』は最後に説明する。『会えて嬉しい』と言ってくれて、嬉しい。俺も会いたかった。でも、俺の身体には触るな。汚いんだ、俺の身体」
「汚い?」
「死肉で出来てるからな」
聖さんは自分の手の平を見つめた。
「『おばけ怖い』か。俺は怖いおばけかもしれない。でも、お前を酷い目に遭わせに来たんじゃない。ただ純粋に、お前と会って話したかっただけなんだ」
座席の上で胡坐を掻き、ぽんと膝を叩く。
「さて、最後だ。『どうして』か。お話を聞かせてあげよう」
父親が子供に紙芝居するように、聖さんは言った。
「お前が知っている黄泉還りは、三百年前に定着したものだ。三百年以上前、黄泉還りは言葉の音の通り、死者を復活させる方法、『蘇り』だったんだよ。当時の高名な坊さんが編み出した儀式なんだ」
聖さんは無意識に煙草を探していた。私は聖さんが死んでから、聖さんと同じ銘柄の煙草を吸っていたので、私の煙草とライターを聖さんに渡した。聖さんは煙草に火を点け、吸う。
「黄泉還りの詩にある『赤き石』は『魚の内臓』って意味じゃない。『死肉』って意味なんだ。当時の尾露智町では家畜や利用価値のない人間を海に投げ込んで、蘇りの儀式を行っていた。海にはいろんな生き物が居る。人知を超えた存在もな。坊さんはそいつとのやりとりが上手かったんだろうよ。大量の死肉を捧げると、本当に蘇っちまうんだ」
「マジすか」
「マジマジ。ところがどっこい、俺の身体は、海のモノと、海に投げ込まれた死肉で出来ている。正常な生き物じゃないから、こっちの世界では長く生きられない。この身体の調子で考えると、今日一日でいっぱいいっぱいだ。蘇りも完璧ではないのさ」
煙を溜息と共に吐き出し、聖さんは続ける。
「奇跡と呼ぶには胸糞悪い偶然が重なって、俺は蘇っちまった・・・」
「何があったんです?」
「三百年前、蘇りを考案した坊さんは時の権力者に蘇りの儀式を売り込むが、邪法だと恐れられて坊さんは秘密裏に処刑された。蘇りの儀式は禁止され、伝承だけが残り、今の黄泉還りになった。海に投げ入れられるのは魚の内臓。それじゃあ足りなくて蘇れないわな。ところが、五年前、七瀬龍之介って名前の爺さんが若い男を殺してその死体を海に沈め始めた。五年間、溜まりに溜まって、一人分の肉ができちまった。そこでお前が儀式をして、俺が蘇っちまったってわけだ。おい、灰皿」
私は灰皿を手渡した。
「どうだ、理解できたか?」
「・・・納得はできないけど」
「それでいい。俺には触れるなよ。お前を汚したくないんだ」
「あいかわらずロマンチストでございやすねえ」
「愛の言葉ならジャラジャラ出てくるぜ」
「嫌な出し方だな・・・」
「それにしても、見ろよこの格好」
聖さんは自分の服を引っ張って見せた。
「全然俺の趣味じゃねえ。海に漂ってるモンを寄せ集めてきたからチグハグだ」
ヨレヨレの白いシャツ、黄緑の上着、ダメージジーンズ、サンダル。
「うわっ、果てしなくダッサいな」
「金は持ってる。服屋に連れてってくれねえか?」
「いいですよ。ていうかお金持ってるんですね。驚きです」
「海には何でもあるぜ」
「好みの服は無いんじゃん?」
「揚げ足とらないの!」
「商店街の開店時間は九時だからまだお店開いてませんよ」
「今、何時だ?」
私は携帯を取り出して時間を見る。
「五時半」
「お前、寝てないだろ」
「寝られるわけないでしょ!」
「今から寝ろ。九時になったら起こしてやるから」
「時計持ってるの?」
「持ってないから携帯寄こせ」
「はい。・・・寝られるかなあ」
「太宰でも諳んじてやろうか?」
聖さんは太宰治の熱心なファンで、いくつかの作品は諳んじることができる。
「じゃあ『海』を」
「東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて・・・」
私は座席を倒し、身体を横向きにして眠ろうとした。聖さんの低い声が水紋のように私の身体に広がる。人間の身体の殆どは水で出来ているらしいから、聖さんの声が血液に染みて全身に行き渡っているのを、水紋と例えてもおかしくはないだろう。聖さんはゆっくりゆっくり、語る。私の意識はすぐに朧になった。
「・・・ふああ」
「おはようさん」
「おわ、一瞬で寝ちゃった。携帯返してくださいな」
携帯を返してもらい、時間を見る。
「十一時半!? なんで起こしてくれなかったんですか!!」
「そう怒るなって。可愛い寝顔を見つめてたらあっという間だったんだよ。つまりお前が悪い」
「約束ってもんができん男だな!」
そう言いながらも、私は悪い気はしなかった。
「さあ、服を買いに行こうぜ」
「じゃ、車、出します」
私はホテルの駐車場から車を出し、町の中心部に走らせた。商店街の近くで車を停め、二人で服屋に入る。服屋の店主は聖さんの格好を見るとギョッとしていた。白い長袖のシャツと灰色のセーター、黒いズボンと黒い靴下を買い、着替える。
「靴も買いたい」
「行きましょう」
靴屋で黒い靴を買い、人様に見せても恥ずかしくない格好になった。
「次、どうします?」
「朝飯」
「何か食べたいものありますか?」
「お前の朝飯だよ。俺は食わなくてもいいんだ」
「えー、私、聖さんが食べてるところ見たいなー」
「俺もお前が食べてるところ見たいなー」
「じゃあ、よさそうな喫茶店探しましょう」
私達は商店街を歩き、小さな喫茶店を見つけた。店に入ると一番奥の席を案内される。店内は薄暗く、オレンジ色の照明が静かな光で照らしていた。
「『モーニングメニュー、昼もやってます』だって」
「良い店だな」
「『日替わり朝御膳』いいな。これにしよ」
「俺はBセットにするわ」
私は店員を呼んだ。
「すみませーん」
「はーい」
店員はすぐに来た。お冷とおしぼりを私達に配ると、伝票とペンを手に取る。
「日替わり朝御膳一つと、Bセット一つ」
「お飲み物はなにになさいますか?」
「アイスティー、ミルクで」
「俺はホットコーヒー」
「お飲み物はお食事と一緒にお持ちしましょうか?」
「食後で」
「俺も食後で」
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員は厨房に消えていった。店内は空いている。雰囲気の良い店だ。
「懐かしいな。よく『敵情視察だ』って言ってお前とあっちこっち食べ歩いたっけ」
私は突然、何と答えていいのか分からなくなってしまった。目の前に聖さんがいる。その異常事態を漸く脳が処理し始めたのだ。
「・・・やっぱ会いに来ちゃ迷惑だったか?」
私の顔を覗き込み、聖さんは悲しそうな顔をする。首を横に振って応えると、聖さんは優しく笑った。
「一年間、何をしていたんですか?」
「ん? んー、そうだなあ」
顎に手をやり、唸る。
「普通は、空の上か土の下に行くんだが、俺は未練があってどっちにも行けなかった」
「未練?」
「お前だよ」
本当はいけないのに、嬉しくて笑ってしまう。
「海の底で微生物に食われながら、砂で削れてどんどん無くなっていった。苦痛ではなかったよ。時間の感覚は無かったな」
聖さんはおしぼりで手を拭き、お冷を一口飲んだ。
「微睡んでいたところを、急に揺さぶり起こされた。坊さんとやりとりした海のモノが、俺に何か語り掛けた。内容は覚えてない。今の俺は、海のモノだ。海と繋がっているんだ」
「海と繋がってる」
「今、俺の目や耳には、人間が幽霊や妖怪、天使や悪魔と呼んで恐れたり有難がったりする存在が見えて、聞こえているんだ。目の前の景色だけじゃない。海風が吹くこの町の全ての人ならざるモノと感覚を共有してる」
「しんどくないんですか?」
「平気さ。おっと、」
聖さんが人差し指を口に当てる。指を降ろした瞬間に店員が料理を運んできた。
「お待たせしました。朝御膳とBセットです」
「ありがとう」
聖さんが礼を言う。
「失礼します」
店員は軽くお辞儀をして去っていった。
「芙美、分かってるとは思うが俺の話は口外しちゃいけないぞ」
「はい」
「さ、冷めないうちに食べよう」
朝御膳は白米と味噌汁、焼き鮭、卵焼き、沢庵、切り干し大根、たっぷりの薬味だ。Bセットはトーストとサラダ、ゆで卵。
『いただきます』
二人で声を合わせ、無言で食べる。食事中は会話しないのが決まりである。三十分程で食べ終え、店員を呼んで飲み物を貰う。
「芙美」
「なんですか?」
「最近、どうよ」
「この前、看護副主任になりました」
「おお、やるじゃん」
「夜勤が減って嬉しいんですけど、今度は責任で押し潰されそう・・・」
私は顔を手で覆い、俯く。
「お、おい。そんなに辛いのか?」
「・・・とでも言うと思った?」
「え?」
顔を上げ、両手でピースサインを作って笑った。
「出世街道まっしぐらですよ! いえいいえい! ゆくゆくは看護師長、そして看護部長になりますよ!」
「お前なあ・・・。お爺さんを揶揄うんじゃありません」
「エヘヘ、ごめんなさい。まあそんなわけで、仕事と結婚しましたよ。両親も孫の顔は諦めたって。ま、私は恋愛するには少し『とう』が立ってますからね」
「俺に操立ててんのか?」
「そうです」
「やめろよ。こんな爺に。それに、俺はもう・・・」
「勝気でストレートな聖さんらしくないですね」
「俺に縛られて生きてほしくないんだ」
「私の貴重な十代と二十代を独占しておいて、その言い方はあんまりじゃありませんか?」
「・・・悪い」
「何を言っても毒にも薬にもなりませんよ」
「お前は昔から、自分を信じる力が強いな・・・」
聖さんは苦笑した。
「我が強いって言いたいんですか?」
「そうとも言うかも」
「・・・そういえば、ずっと聞きたいことがあったんです」
「なんだ?」
「どうして私の告白を受けてくれたんですか?」
聖さんは口元を手で覆い、視線を横に反らした。照れている時によくやる仕草だ。
「好意を向けられて嬉しいと感じたのは、お前が初めてだったから、興味本位で受けた。なんで嬉しいと感じたのかは分からない」
「あれ? 若しかして初恋だったの?」
「そうかも」
「初恋って実らないんだなあ」
「お前もだろ」
「私、今、病院のベッドの上で夢を見てるのかもしれないね」
「やめろ、縁起でもない」
「コーヒー、良い具合に冷めたんじゃない?」
聖さんは音を立てずにコーヒーを啜った。
「・・・ちょっと酸いな」
「あらら」
私が笑うと、聖さんも笑った。下らない話をしながら飲み物を堪能した後、車に戻った。私は運転席、聖さんは後部座席だ。
「どっか行きたいところあります?」
「んあ・・・。ちょっと・・・待ってくれ・・・」
「ん? どうしたんです?」
聖さんは顔を顰め、ぱちぱちと瞬きをしていた。身体が不安定に揺れている。
「聖さん? 大丈夫ですか? 聖さん!」
「触るな!」
伸ばした手は避けられてしまった。私は仕方なく手を引っ込める。
「海のモノが怒ってる」
私は背筋にぞわりとしたものを感じた。聖さんは後部座席に横向きに寝る。
「芙美、見るな」
咄嗟に目元を手で覆い、聖さんに背を向けた。
「良い子だ」
ぶわっと妙なにおいが車内に広がった。潮のにおいと、なにかを腐らせたような強烈なにおい。においは一瞬で無くなったが、私は吐き気を堪えるのでいっぱいいっぱいになった。暫くして吐き気が落ち着き、深呼吸を繰り返して漸く呼吸が整ったころ、後部座席の聖さんが起き上がる気配がした。
「芙美、もういいぞ」
私は目元から手を降ろし、膝に置く。
「な? 言ったろ、俺は汚いって。だから触るなよ」
「そんなぁ・・・」
「お前、今すぐホテルに戻って荷物持って帰れ」
「え、なんですか急に。嫌ですよ」
「・・・厄介なことになった」
そう言って、聖さんは椎名と阿藤、裕美子さん達が行った黄泉還りで何が起こったのかを詳細に話した。
「七瀬製薬の社長が優さんの父親で、優さんと椎名さん、阿藤さんは兄妹・・・」
「美貌を武器に子供まで利用してのしあがるなんて恐ろしい男だな」
「ミーちゃんは母親の椎名さんを唆して二十七人を殺して、その肉で蘇ろうとしたんですね?」
「そういうこった。厄介な水子だな」
「でも、祖父の七瀬に母子共々殺されてしまった・・・」
「黄泉還りで起こった全ての出来事に海のモノは怒っている。二十七人の信者の魂は殺しの片棒を担いだ阿藤のところへ。椎名とミーちゃんの魂は七瀬のところへ憑りついた」
「二人が何をしているか分かるんですね?」
「・・・芙美、七瀬龍之介って爺が若い男を殺して海に沈めてるって言ったの覚えてるか?」
「優さんの父親も、七瀬。まさか二人に繋がりが?」
私は携帯で七瀬製薬のホームページを開き、社員情報を見た。
『代表取締役会長 七瀬龍之介』
『代表取締役社長 七瀬蓮』
「大当たり」
聖さんが短く溜息を吐いた。
「このままじゃ同じホテルに泊まってたお前にも被害が出かねない。早く荷物を取りに行け」
「・・・はい」
私はホテルまで車を走らせた。無事にホテルに着き、荷物を回収するとチェックアウトのためにフロントの呼び鈴を押す。
「はーい」
ホテルのオーナー、高田さんが従業員室から出てきた。
「急用ができたので今すぐチェックアウトしたいんです。料金は予定通りの日数分お支払いします」
「はい。そういうことでしたら構いませんよ。では清算いたします」
問題なくチェックアウトを済ませ、車に戻る。
「おかえり。俺、ここから歩いて海まで帰るわ。お前は今すぐ家に帰れよ」
聖さんが車を降りようとしたので、私はドアにロックを掛けた。
「おい」
「海の近くの駐車場に車を停めます。だからギリギリまで一緒に居てください」
「お前も危ないかもしれないんだってば。馬鹿じゃないんだから分かるだろ?」
「・・・裕美子さん達、助けられないんですか?」
「三人は七瀬龍之介のところに連れていかれたよ。このまま放っておいたら全員奴隷にされた挙句に殺されて海にポイだろうな」
「私達にできることはないんですか?」
「・・・三人は腕を縛られてるが、裕美子って姉ちゃんが袖にナイフを忍ばせて、逃げる機会を伺ってる」
「な、なんで袖にナイフを・・・」
「知らんがな。まあ、屋敷から逃げ出しても、山を降りる車がないな」
「車ならここにあるじゃないですか」
「・・・それ以上のことはさせないからな」
「では案内を」
「分かった」
聖さんは後部座席から助手席に座り直し、道案内を始めた。私はそれに従い、山道を登っていく。大きな屋敷の前に駐車場が広がっている。屋敷に一番近いところに車を停めた。
「ここで良いんですか?」
「おう」
「敵地真っただ中じゃないですか!」
「爺さんは奴隷を献上された日は愛人の阿藤以外は屋敷から追い払うんだよ。短くて一日、長くて三日は人を寄せ付けない。ま、駄目だったらとっとと逃げだせばいいだけの話よ」
「裕美子さん、無事に逃げ出せますように・・・」
それから暫くの間は無言で過ごした。私は時間が経つのが嫌で嫌で仕方がなかった。ずっとこの時間が続いてほしいような、早く解放されたいようなもどかしい気持ちを味わう。
「芙美」
「なんですか」
「行ってこい。ただし、そっとな。ドライブしてたら迷っちまったから道を尋ねに来たって言っとけ。俺のことは聖さんの友達ってことにしろ」
「わかりました。行ってきます」
私は車を降りた。大きなお屋敷だ。両開きの扉の右の方をそっと開ける。人が一人通れるくらいまで開けたとき、突然誰かが飛び出してきて、私の上に馬乗りになった。
「ひゃああ!?」
「うおっ!?」
なんとも間抜けな声が響いた。
「芙美さん! こんなところでなにを・・・」
飛び出してきたのは透さんだった。私の上から退き、手を差し出してきたので、透さんの手を取って私は起き上がった。扉の中は異様な光景だった。裕美子さんと優さん。顔面がボコボコになったボンテージ姿の阿藤さんと、綿入れを羽織った半裸の知らない男が一人。私は思わず首を傾げる。
「えっと、ドライブしてたら道に迷ったので、ここがどこか教えてもらおうと思って・・・」
「・・・ええ?」
「あの、若しかして何かお困りですか? 私の車でよければ皆さん乗ってください」
「あ、ああ、是非! 是非乗せてください!」
「はい。どうぞ」
正直、この人数を乗せられるほど車は大きくない。
「優君、早う!」
透さんが優さんを急かす。後部座席に透さんと阿藤さんと半裸の男、座席の足元に優さんと裕美子さんが無理やり座った。私も運転席に乗る。
「車、出しますね」
「芙美さん! ホテルに戻らんと、適当に走ってくれへんか? 事情は説明するから!」
「はい。いいですよ」
「ハハハッ、大所帯だな」
聖さんが軽快に笑った。
「芙美さん、この人はどなたですか?」
「山田太郎でーす」
「ほら、前に話した聖さんのお友達です」
「兄ちゃん達、なんで顔面ボコボコのボンテージ女や綿入れ一枚の変態さんを連れてるの?」
優さんが顔を顰めた。
「話すと長くなります。信じ難い内容です。実は・・・」
黄泉還りで起こった出来事と、七瀬龍之介の屋敷の中で起こった出来事を三十分程かけて優さんが説明した。半裸の男の名前は天野というらしい。
「ふーん、大変だね」
聖さんにしてみれば全て知っている出来事なので、優さんの話が退屈だったのか欠伸を手で抑えていた。
「兄ちゃん達、幽霊とか妖怪とか宇宙人とか信じる?」
「信じざるを得ません。椎名さんが蘇らせた美樹ちゃんを見たら・・・」
「俺も」
「私も」
「ぼ、僕は信じますよ。皆さんの話を信じます」
「私も、実際に見ましたから、美樹ちゃんを・・・」
全員が賛同した。
「じゃ、俺の言う通りにしな。そうすれば万事解決さ」
「どうするんですか?」
「二十七人を殺した場所に呼び出す。それだけ」
「それだけって・・・」
「おじさんに任せとけって。それとも、他に策があるの?」
「・・・ありません」
私は苦笑した。今の状況なら聖さんの正体を明かしても信じてくれるだろう。けれど、それを聖さんが望んでいない。だから自分のことを『山田太郎』だなんて名乗ったのだ。今、『山田』の言葉には説得力が足りない。信ずるに足る材料が少な過ぎる。
「皆さん。太郎さんの言う通りにしてください。私達はそれ以上の協力はできません。きっと上手くいきますから。ね?」
そう言うのが精一杯だった。
「・・・分かりました」
優さんが頷く。
「じゃ、決まりね。芙美、海に向かいな」
「はい」
「そっちの兄ちゃんはお父さんに脅迫電話を掛けな。一人で来なかったら重要書類の命はないぞってな」
「なんだそりゃ」
私はクスクス笑った。
「阿藤さん、電話番号分かりますか?」
「はい」
「教えてください」
優さんが電話を掛ける。そして父親の七瀬と暫くやりとりをして、七瀬を呼び出すことに成功した。
「脅迫してきた相手を脅迫し返すなんて、優君やるぅ!」
裕美子さんが明るい声で言う。
「ま、どーせ一人じゃ来ないだろ。どうなるかは後のお楽しみだ。それまでは夜のさざ波でも聞いて物思いに耽ろうや。兄ちゃん達、道案内頼むぞ」
「分かりました」
私は透さんに案内され、黄泉還りが行われた場所に車を停めた。
「芙美、車はもう少し向こうのほうに停めな。ここじゃ俺達が居るって気付かれちまう」
「はーい」
もう少し走り、車を停める。
「ちょっと、天野君寝てるんですけど」
「あんな責め苦を受けた後や。疲れて寝るのも無理ないわ」
ルームミラーで後ろを見ると、阿藤さんがビクッと反応していた。
「裕美子ちゃん、任せてええか?」
「はいはい。どうせ何を言っても優に着いて行くんでしょ」
「悪いな・・・」
「天野君はいいけどさ、阿藤さんは怖いから連れて行ってよ」
「おう。行くで、阿藤。妙な真似したら頭の骨が折れて脳みそに突き刺さるまで殴るからな」
「は、はい・・・」
透さんと阿藤さんが車から降りた。
「芙美。お前もここに居な」
「嫌です」
「我儘だな。嫌な思いするだけだぞ」
「それでも行きます」
「そっか。ならおいで」
私と聖さん、優さんも車を降りた。
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