世界の景色

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世界の景色

歴史的建造物(モニュメント)を作るのは高名な建築家だが、街並みを作るのはそれ以外の無名、二流の建築家たちだ。我々は、この事実を常に意識に留めておく必要がある」  人の行き交う埃っぽい街路を早足で歩きながら、灰色の旅装に身を包んだキグナスは唸るような声でそう言った。  後ろに付き従っていた長身の青年は、「はい」と返事をしながら、今にも人にぶつかりそうなキグナスの細い背を追いかける。 「ある都市の名を聞いたとき、我々は象徴的な建造物を連想する。二百年かけていまだに建設中の大聖堂、贅を凝らされた宮殿や凱旋門、計算しつくされた造形美のピラミッド。枚挙に暇がない。だがそれは、都市のほんの一部に過ぎないんだ。人々が日々を生き、暮らす街。そう、いま我々が歩いているこの道の左右に並ぶ建物は誰が作ったのか? 名など残されていない。しかしそれとて、さしたる問題ではない」  立ち止まることなく、肩越しに振り返って鋭い視線をくれるキグナス。勢いでフードがはだけ、真っ白の髪と茶褐色の肌、金色の瞳があらわになる。  キグナスは、後ろを見たまま背中で進み続け、流れるように言葉を紡いだ。 「つまりこの世界は、一握りの天才の、突き抜けた芸術(アート)だけでは成立しないということだ。世界の景色を作っているのは二流以下の人間たちなんだよ。わかるか、ジオラス」    黒髪の青年、ジオラスは純黒の瞳を見開き、返事の代わりに「師匠、前!」と叫んだ。  地面を蹴って走り込み、荷車を引いた馬に接触しかけていたキグナスの装束のフードを片手で引き寄せる。小柄な体は軽く、勢いよくジオラスの腕の中へと倒れ込んできた。  その横を、カラカラと乾いた音を立てて、馬と荷車が埃とともに通り過ぎて行った。  ジオラスは、けほけほ、と小さく咳き込む。その腕から逃れつつ、キグナスは屈託のない笑みを浮かべて言った。 「助かった。さすがジオラスは()()()、反射能力が長けている」  自分の前半生に触れられて、ジオラスは片頬だけで一瞬笑ってから、小言を口にした。 「今のは、見ていれば避けられました。師匠はもっと周りに注意し、前を向いて歩いてください。前を」  大人から子どもに対するような頭ごなしの物言いに、キグナスはむっと顔を強張らせて目を細める。彫刻めいた端正な顔、年齢はまったくもって不詳。  絵画修復士キグナス。見習い修復士であるジオラスの師。  たしかな技術で広く名を知られており、ひとたび仕事に取り掛かれば、その集中力は凄まじいものがある。しかして、日常生活における落ち着きは絶無。小柄で童顔なせいもあってか、近くで見ても少年と錯覚することすらある外見だ。 (実際の活動期間を考えると、四十歳過ぎじゃないと計算が合わないはずなんだけど……)  キグナスはふっと息を吐き出す。  その瞬間、轢かれかけたことはけろりと忘れたらしく、まくしたてるように話を再開する。 「そういうことだ、ジオラス。二流であることを引け目に感じるな。二流には二流の存在意義があり、生き方があり、二流の作るものにも十分な価値がある。下手の横好きで、なんて謙遜する必要もない。一切ない。むしろ、一流ではないからこそ、できることがある。二流を誇れ!!」  片手を胸にあて、もう片方の手は大きく広げて空に向け、虚空をぎゅっと握りしめて拳を作る。  力強い。  口を挟まず傾聴していたジオラスは、そこでぼそっと呟いた。 「俺は、何も作りませんよ。目指しているのは修復士です」  予期していたようにキグナスは突き上げていた手を振り下ろし、ジオラスの腕をぽん、ぽんと軽く叩く。  首を傾けてジオラスを見上げ、実にあっさりとした口調で言った。 「そうは言ってもお前、向いていないんだ、修復士(この仕事)。お前の持つ魔力量は、『第一世代』相当だ。その手で作った芸術作品が『魔法』を帯びる、第一世代(アーティスト)だ。まあ、良いことじゃないか。魔法持ちの()()()『芸術品』を欲しがる者は多い。平たく言うとな、お前は作り手側、芸術家になった方が食いっぱぐれないんだ」  今にも師弟関係の終わりを告げそうなキグナスを見下ろして、ジオラスはきっぱりと告げる。 「たとえ俺に魔力があるとしても、それは望んだものではありません。せっかく人生やり直しの機会を得て、師匠に弟子入りをしたんです。修復の技術を学び、劣化し滅びゆく芸術作品を修復して、後世に残す。願うのはそれだけ。魔法の有る無しも関係ない。大体、『魔法』があるか無いか、つまりひとにとって有用か否かだけで芸術作品の価値が決められるものでしょうか。芸術というのは本当にそれだけの、使えるかどうかだけのものなのでしょうか」  渋面で聞いていたキグナスは、ジオラスが話し終えるのを待って、低い声で答えた。 「結局のところ、修復を依頼される芸術作品は()()()()()()()()()()()が圧倒的に多いがな。すべてと言って良い。何も特別なところがない、使えない絵にかける金なんて、誰も持ち合わせちゃいないさ」  それでも、とジオラスが言いかけたのを鋭く遮り、キグナスはさらにその先を続けた。 「修復士は作品より前に出てはならない。そこにある魔法を壊してはならない。だけどお前の力は強すぎて、修復の過程で、本来その芸術作品が持っていた魔法を上書きしてしまう。それはもはや行為としての修復ではない。作品を再生させたとしても、宿る魔法が別のものに置き換わっているというのなら、それは『破壊』や『侵略』と呼ばれるもの。お前が自分の魔力を抑えることができないのであれば、修復を任せることはできない。わかるだろう?」 「わかります……」  魔力を抑えることができない。  修復の過程で、無意識に魔力を使い、魔法を帯びた芸術作品を、自分の色に染めてしまう。  ジオラスの、修復士としては致命的な欠陥。  落ち込んだ様子のジオラスを前に、ふいーっと息を吐き出しながら、キグナスは口を開く。 「お前に最後の機会を与える。ある街に、これまで美術史の外に置かれてきた壁画群がある。風雨にさらされて、このままでは消滅も時間の問題だ。そこに描かれた絵を修復し、『魔法』を見事再生させてみろ。やれるか?」  そこに、否やという選択肢など、あろうはずもなかった。
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