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壁画の街
壁画の街、シュヴァルト。
今でこそ人口の多くない地方の小都市だが、千年前はここにあった王国の首都として栄えていたとされている。
都市のそこかしこ、日常を過ごす人々の景色の中に、いくつもの石造りの遺跡がある。往時の形を残し、現役で使われているものもあれば、壁や柱が崩れてほぼ原型を留めない石塊となったものもあった。
中央広場、もっとも目立つ位置に立ち並ぶのは、澄み渡った青空へ届かんばかりの八本の石柱。
長身であるジオラスをして、首を痛いほど傾けて見上げる高さ。
(豊穣の神ザイザフォーン神殿の名残……。梁は崩れてほとんど残っていない、か。柱頭は方形と宝珠の組み合わせで、柱身の彫りは素朴な縦線、柱礎も装飾性は低い。典型的なラジュル様式の特徴だ。千年前の王朝時代のもの。現存の柱だけでこれほどの大きさなら、神殿全体は相当の規模だったに違いない……)
ざっと目視で確認してから、周囲に視線を滑らせる。
乾いた風が吹き、往来に植えられた木々の緑が揺れた。陽の光は燦々と降り注いでおり、色とりどりの布を仮の屋根とした露店が立ち並んでいるのが見えた。
人通りはそれなりに多い。
長旅にくたびれた黒の旅装束姿で、ジオラスはぶらりと歩き出した。
円屋根を備え、正面には蔦草模様の彫られた円柱の立ち並ぶ神殿の前を通りかかる。外壁に目立った劣化も見当たらず、開かれた雰囲気で人々が出入りをしていた。近づいて見上げて、太陽神シャムスの神殿、と確認。
ジオラスはさらに、街路に立ち並ぶ神殿や崩れた遺跡の間を歩いて、気になる建物はぐるりと周囲を歩いて確かめながら、街の様子を観察した。
石の街――
(ここはどこもかしこも、見渡す限り石の壁だらけだ。修復対象の壁画は、いったいどこにあるんだろう)
――お前に最後の機会を与える。ある街に、これまで美術史の外に置かれてきた壁画群がある。風雨にさらされて、このままでは消滅も時間の問題だ。そこに描かれた絵を修復し、『魔法』を見事再生させてみろ。やれるか?
修復の師匠であるキグナスからの指令。
該当の壁画は「街のどこかにある」とのこと。修復以前の問題として、探すところから始めなければならなかった。
キグナスから得られたヒントといえば「七百年くらい前のもの、だったかな?」だけだ。
そもそもその壁画は、これまで存在こそ一部の修復士の間で知られていたが、「依頼主」が存在しないことから誰も修復に着手することはなかった、という。収入につながらない、採算が取れないからだ。
――裏を返せば、失敗しても即座に怒鳴り込んでくる相手もいないということだ。「魔法」を帯びていた芸術作品にも関わらず、所有者が存在しない。お前に回す仕事としては妥当だろ?
淡々と語っていたキグナスを思い出し、ジオラスは手で光を遮りながら空を見上げた。強い日差し。雨も降る地域だ。野ざらしなら劣化は著しいに違いない。
(「魔法」を帯びる有用な壁画なのに、持ち主もなく美術史の外に置かれている、とは。もう魔法が完全に消えて使えなくなってしまったのか? たとえ魔法が消えていても、修復はする。修復するか否かは、対象に魔法が宿っているか否かじゃない。それが芸術作品として、修復を必要としているかどうかだ)
ジオラスがかつて従事していた一度目の仕事は、生まれつき否応なく決められていたものだった。もし、生きているうちに機会があるなら、職業は自分で選択すると決めていた。
修復士が良かった。
(あてどなく歩いていても仕方ない。誰かに壁画の話を聞いて情報を集めたいところ……だけど)
比較的新しい建造物は候補から外せるかと考えたが、この街のあり方を見た限り、ことはそう単純でもないらしい。
たとえば、崩れかけた古い建物の柱や外壁を取り込む形で新たに建物が作られていることも考えられる。そうであれば、壁画のあるなしは外から見ただけではわからない。壁画が劣化しているというのだから、なおさらだ。もし「魔法」まですでに失われた後なら、誰もそれを「特別なもの」とは意識しないはず。毎日目にしている者ですら、尋ねても「知らない」と答えるかもしれない。
さてどうしたものかと悩みながら、ジオラスは何度も角を曲がる。
ふと、馴染みのない街ゆえ、方向感覚を失っていることに気づく。どこからでも見えるザイザフォーン神殿跡の石柱を探すべく、顔を上げた。
どん、とすれ違いざまのひととぶつかってしまった。あっ、と思う間もなく、相手が手にしていた紙がばらばらと地面にばらまかれた。
相手は素早く石畳に膝をつき、紙をかき集める。その指先をかすめ、ひらりと風に吹かれて浮き上がった一枚。ジオラスはさっと手を伸ばして掴んだ。
紙に触れた瞬間、ぴりり、と指に伝わってくる刺激があった。
(これは「魔法」を帯びている絵だ)
ジオラスは、自分がぶつかってしまった落とし主の顔を見た。
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