恋泥棒

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 オレがとうとう本気で乗り出したのは五月初旬のことだった。  オレの名前は島之瀬流輝。私立秋桜高校に通う高校生だ。成績は前から数えた方が断然早いとだけ言っておこう。  ちなみに身長も前から数えた方が……いや、なんでもない。  それはともかく、オレと双子の妹は激しい競争を勝ち抜いて、この秋桜高校の一年一組という進学クラスにやってきた。  特待生制度による学費免除を目指して、努力に努力を重ねてきた結果、その栄冠を見事にゲットしたわけである。  入学式を終えて教室を見回すと、いかにも優等生ヅラしたやつらが掃いて捨てるほどいた。  分厚い教科書の、熱心に見ていると目が疲れてしまうあの細かい文字を飽きもせず読みながらブツブツつぶやく眼鏡くんなんか、なまじのホラー小説よりよっぽど怖い。  だが、さすが県内屈指の、しかも有名私立といわれるだけあって、教育設備は充実しているし、全体的に教師・生徒の質も高いと見積もる。  それに敷地全体が小さな自然公園みたいで、教室の窓から眺めると、山のロッジのようにすっぽりと緑に囲まれた感じがする。  あのせせこましい公立中学出身者としておこがましいとは思うけれど、とうとうオレたちにもツキがまわってきたんだと、そのときは思った。思ってしまった。  ところが――  五月を迎えようとした矢先、妹の由依が体調を崩してしまった。  ゴールデンウイークに入るなり、床に臥せってしまい、六畳の広さの寝室にこもりがちになる。  原因は不明。  かかりつけの病院に受診することを勧めたが、即座に拒否されてしまった。 「ほっといてよ」なんて言われたら、さすがのオレも手をこまねくしかないだろう。 「あれは五月病ね」  見舞いがてら夕食を食べにきた芦崎はるかが、由依の様子を見てそう診断した。  はるかは近所の歯医者の娘で、オレたち兄妹と仲良くしている同級生だ。  と言っても今は一年八組という落ちこぼれクラスにいるわけで、高校に上がってからあまり会わなくなっていたけれど、暇になると、時々うちに遊びにやってくる。 「疲れちまったのかな。勉強漬けの毎日に」  オレは台所で洗い物をしながら訊いた。母親の帰りはいつも八時過ぎだ。由依が寝込んでいるので、最近ずっと夕食係をしている。 「冗談だからね」  居間にいるはるかが答えた。  洗剤で手が滑ってお茶碗を落としかけたが、危うく受け止めると、 「まじめに答えろ」と言った。  はるかの笑い声が届く。 「笑いごとじゃねえだろ」オレは蛇口をキュッとひねって水をとめた。こんなふうにはるかの首をひねってやりたい、と思いはしたが、もちろんそんなことをするわけがない。  ただ、「静かにしてくれ。部屋で由依が寝てるだろ」と声を落として言った。  はるかは(ごめん)という目でオレを見る。 「分かればいいんだ」  オレはうなずいて食後のコーヒーを準備した。  特売品のインスタントだが、なかなか味はいい。 「どうした?」トレイを運びながら訊いた。「ほれ、コーヒーだぞ」  カップを置いて畳に腰を下ろす。 「うーん……」  はるかは座卓に頬杖をついて何か考えごとをしていたが、その目は居間の片隅にあるキャンプ用の寝袋の方に向いていた。
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