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何人かの友人から別々のタイミングに同じ話を聞いたことがある。
観光地の京都でうるさいくらいに鳴る風鈴の音、それは風鈴の存在を知っている日本人にしか聞こえない音なのだという。正確に言えば、外国人は音を物理的に浴びていても風鈴の音を認識できない。でも、日本人のツアーガイドがひとたび風鈴の説明をすればその瞬間、急に風鈴が鳴り出したかのようにうるさい、うるさいと言い始める。
僕のように拗らせた大人には、自分にしか聞こえない風鈴が多い。周りの人には全然聞こえないのだ。
中学校の頃、サッカーばかりやっていた自分とサッカーの話題で盛り上がれる女の子が一人いた。太陽のような、ヒマワリのような笑顔の女の子だった。少し茶化してくるような、それでいて懐が深いような芯を感じる女の子だった。その強さは病気が与えてくれたものだと、彼女は言った。毎日学校に行けることを感謝できるのは病気のおかげだと。その解釈は無理矢理じゃないかと幼い自分は思ったが、今なら分かる。何気ない日常の音は彼女にだけ聞こえる風鈴だったのだ。
彼女と過ごす時間を少しでも長くしたいというだけで、図書委員に立候補した。迷いなく挙手した自分に驚いた。サッカー一筋の自分が放課後に時間を奪われる図書委員になったのは友人も驚かせた。あまり褒められたものじゃないけど、彼女のタイムリミットが僕の背中を押してくれた。体が弱くても楽しめる読書が一番の趣味だった彼女と、本を一冊も読まない僕では、図書委員としての仕事の速さが桁違いで恥ずかしかった。
ある時、彼女が僕の将来の夢を聞いた。サッカー選手、無理だったら花火師と答えた。第二候補の理由は単純に父さんが花火師だったからだ。
彼女の夢は、聞けなかった。でも、聞かない気遣いも彼女に対する嫌なメッセージになってしまうような気がして来月の予定を聞いた。全国模試で優秀な成績を取って、成績優秀者として名前を載せたいから沢山勉強するのだと彼女は言った。正直、彼女の性格からは意外な答えだと思った。理由を聞いた。彼女は「私がいたことを、誰かに覚えてほしい」と言った。「僕はいつまでも覚えてる」と言えなかったのを帰り道で後悔した。それを帰って婆ちゃんに話したら、明日があるじゃないと言ってくれた。縁側で、風鈴が鳴っていた。
ある日、彼女がカレンダーを見つめていた。綺麗な景色を集めたそのカレンダーの8月の写真は大きな花火だった。自分の父親が打ち上げる予定がある花火大会に良かったら来ないかと少し卑怯な誘いでデートを取り付けた。
普段はあまり外に出ない彼女は花火を見上げながら、瞳を潤ませていた。普段は頻繁に外に出ない彼女のはしゃぎようは、見てるこっちまで嬉しくさせた。自分の人生で最高の瞬間だったと今でも思う。花火師という仕事がサッカー選手と同じくらい格好良く思えたのはあの瞬間があったからだ。
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