冠花火と終いの恋の話

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「いまだけ」  そう告げた彼の身体が動く。 「うん」  言葉がすべて出てくる前に、身体に圧がかかる。 「ごめん……っ」  縋り付くように自分に抱きついた腕は、震えている。  その背に、手を回したくなるけれど。  その役割は、私じゃない。  あげかけた手は、行き場をなくしダラリと下へさがり、彼の服をつかむ。  浴衣を着たあの子と、甚平を着たあの人。  私たちの好きな人たちは、幸せそうに先を歩き、立ち止まり、道をそれた私たちには、気がつかない。  祭ばやしが聞こえる。  鈴虫の声が、聞こえる。  赤にオレンジの提灯が、風に揺れる。  背に回せたら。  腕を掴めたら。  そんなことを思っても、そんなことをしても、彼も、私も、互いの傷口を、ただ、ただ拡げるだけ。 「なんで俺じゃ駄目なのかな」 「……私だって」 「俺たちのほうが、先に出会ってたのに」 「……そうだよ」 「俺たちのほうが、ずっと見てきてたのに」 「……ホントにね」  自分まで泣いてしまいそうになる彼の声が、耳元で続く。 「……お前も泣けよ」 「絶対にいや。あんたの前でなんか。……絶対に」 「頑固者」 「余計なお世話」  嗚咽を繰り返しながら、それでも続ける彼の声に、目頭が熱くなる。  私だって、ずっと見てきた。  ずっと隣に立ってきた。  誰よりも理解してきたと思っていたし、今でもそう思ってる。  でも。だからこそ。 「どれだけ相手を好きなのか、分かっちゃうのよね」 「あーぁ…」  好きだからこそ。  大切にしてきたからこそ。  彼らが何を見て、何を思っているのかが、解かる。  だからこそ。  止められなかったし、キラキラと、光を帯びていく二人の瞳を、曇らせたくはなかった。 「恋に落ちたところすら、見てたもの」  私も、君も。  ジワ、と私の肩に冷たくて、温かいものが広がっていく。 「なんで、去年の夏、祭りに来ちゃったんだろうな、俺たち」 「ビール飲みたいだけなら、ビアガーデンで良かったのにね」 「俺なんて、いつもみたいに陰キャでいれば良かったんだよ」  過去に戻ることなんて叶わないのに。  あの日、この場所に立ち寄らなければ。  そんな言葉ばかりが、口をついて出てくる。 「浴衣を着てるとこが見たいだなんて言ってなかったら、ぶつかってなかったかもね」 「そしたら、ビールをあいつにひっかけることもなかった、って?」 「そ」  彼の声に、短く頷き、そんな私に、彼は無言で答えてくる。  ―― もしも。  もしも、あの日に戻れたとしても。  やっぱりあの子は、当初の予定のビアガーデンではなく、前日に見つけたお祭りに、仕事終わりの私を誘ってくれるのだろう。  やっぱりあの人は、彼を誘って後輩くんのライブを覗きに来てたんだろう。  断ることも出来ない私たちには、為す術なんてなくて。  きっと、また。  例え、ビールをひっかけなかったとしても。  例え、ぶつかってしまわなかったとしても。  あの子とあの人は、出会っていたのだろう。  だって。  それ以外の未来なんて、見えないのだから。  互いの体温が、夏の夜の暑さを加速していく。  鈴虫が、鳴いている。 「はぁぁぁぁぁ」  ひときわ大きな息をはいた彼が、ずるり、と私の肩から離れていく。 「肉まんでも買いに行くか」 「……売ってるわけなくない? いま真夏だけど」 「じゃ、屋台のかき氷」 「……がむしゃらに食べて頭痛で苦しめ」 「えぇえ。酷くね?」 「……ビールがいい」 「えぇー」  隣に並んだ彼の表情も、暗くて見えないけれど。 「酒で忘れるのは、止めようぜ」  きゅ、と繋がれた手から、見透かされている思考が流れ出ている気がする。 「じゃあどうすればいいのよ」  あんたも、私も。  そう呟いた私に、「ね」と力のない声だけが返ってくる。  誰よりも近くで、あの子とあの人の幸せを見続けるしか、道が無いだなんて。 「あ」 「あ?」  なに。  そう言いかけた言葉が、夜空の明るさに止まる。  打ち上げられた星が、長く光り、弧を描いていく。 「冠花火だ」 「かむろ……」    よく見かけていたのに、初めて聞いた花火の名に、隣を見あげれば、綺麗な涙が、頬をつたっているのが、夜空に咲いた鮮やかな花、冠花火が、私に教えてくる。 「あんたに」 「おまえに」  恋をしていたら、どれだけ、良かったか。  同じ花火を見上げているであろうそれぞれの想い人を思い浮かべながら、同時に呟く私たちは、どこまでいっても平行線で、どこまでいっても、交わることはない。 「失恋記念日だな」 「嫌な記念日ね、それ」  思い切り嫌な顔をしながら言えば、彼はふはっ、と笑い声をこぼす。 「失恋に」 「かんぱーい」  ゴン、とぶつけ合ったかき氷のカップから、ぼと、と氷が地面に落ちて、地面を濡らす。 「……あたまイッテぇ」 「……でしょうね」  ザク、ざく、と突き刺したストローが、ピンクのシロップに穴をあけていく。  大切な人の恋が実った夏の夜。  私と彼の恋は、見事に砕け散ったけど。  この日の花火の綺麗さも、  この日のかき氷の冷たさも、  失恋の痛みがそれらを倍増させていたことに気がつくのは、  もっと、ずっとあとの、話。 「ねぇ」 「なに?」 「冠花火、嫌いになんないでね」 「なんで」 「私も、かき氷、好きなままでいるから」 「……どういうこと?」 「だって、あんたと私の好きなものは、ふたりの好きなものでもあるじゃん」 「……確かに」 「だからさ、あんたが好きなものを――」    私の言葉に、君が目を見開く。  彼の返事は、打ち上がった花火の音に、消えた。
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