八月十五日

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 お久しぶりです。最近あまりこちらにこられなくてごめんなさい。  日々に追われるようにして過ごしていると、時間が自分の体をすり抜けるように流れていくのを感じます。人も時間も止まってはくれないという事実を痛いほどに感じる毎日ですが、それに救われているのもまた事実です。  それに、こうして時間の流れの中に自分だけが置いていかれている感覚は、出会ったあの夜のことを思い出させてくれます。  もう六年も前になりますね。六年前の八月七日。もちろん覚えています。  あの日の夕方ごろ、私はアパートの窓からいつもより妙に人の多い通りを眺めていて唐突に思ったんです。今日、花火の日だなって。だってほら。ハ月七日、ハナビ。ね?  私好きなんです。語呂合わせ。子供の頃から友達の誕生日に必ず語呂をあてがっては喜ばれたり怒られたりしました。  小学生の頃でしたか、十月十日生まれの子の誕生日に『おめでとう。ユミコはトイレの日生まれなんだね』て言った時はちょっと絶交されました。子供って残酷で怖いですよね。私もその子も。ふふふ。私、最近ようやくまた少しずつ笑えるようになってきたんです。  ごめんなさい少し話が逸れてしまいました。それで、せっかく花火の日なんだから花火やろうかなあなんて思っちゃったんですその時。それが不幸の始まりでした。  今考えるとほんと、その時なんでそんな風に考えちゃったかなって不思議で、私もう三十を超えてて、独りで、なのになんでそんなこと思っちゃったんだろうなって、暑さで頭おかしくなってたのかなって。  だって私、花火って大嫌いだったんですよ。    中学生二年生の時だったと思います。一学期の最後の日の夜にクラスのみんなで集まって校庭で花火をしようって話になったんです。私、それがすごくイヤで。花火がイヤだったんじゃないです。なんて言うんでしょう。夏だから、中学生だから、クラスの皆で校庭に集まって花火とかしちゃおうみたいな、その、青春を演じているような振る舞いがとてもこそばゆくて、恥ずかしくて、本当にイヤだったんです。  ダメなんです私。演じている人を見るのが。  そうですね。例えば、当時は生徒会選挙が苦手でした。みんなで必死に大人を演じているあの空気がとても苦手で。だって生徒会長なんて誰がなっても同じじゃないですか。誰が生徒会長でも学校のトップは結局校長なわけで、学校を変える力なんて校長にしかないのに、それなのにみんなまるで政治家の真似事みたいに公約を作ったりだとか、応援演説だとか、そんなごっこ遊びを中学生にもなってやってるなんてもう見てるこっちが恥ずかしくなるじゃないですか。  私、そんな可愛くない子だったんですよ。だから友達も少なくて、なのに数少ない友達にトイレの日に絶交されちゃったりして、いよいよクラスで浮いているような女の子だったんです。  だから、そんな青春ごっこの花火なんて絶対行かないって固く心に決めていたんです。誰に誘われても冷たく断ってやるぞ。と、心の中で何度もイメージトレーニングして、誘ってくる女子たちと、それを毅然と断る私と凍りつく教室の空気までイメージしては、夏休みを目前に控えた浮ついた教室の隅でほくそ笑んでいました。  そして誰にも誘われないまま終業式は閉じ、一学期は終わりました。『クラスのみんな』に私は入っていなかったんですね。願ったり叶ったりです。  私はその日の夜、母から投げかけられる夏休みの予定への質問に曖昧に返事をしながら無心で晩御飯の酢豚を食べていました。母の作る酢豚はおいしかったです。  その時チャイムがなりました。母が玄関に出るとなんとそこにはクラスメイトたちが立っていました。私の家が学校から徒歩で三分ほどの超近距離にあったため、校庭に向かう途中で誰かが面白がって私を誘おうとチャイムを押したみたいです。本当にふざけていますよね。私は当然断りました。  と……言いたいところだったんですけど、のこのこついて行っちゃったんです私。結局誘ってもらって嬉しかったんです。寂しかったんです。『クラスのみんな』に入れてもらいたかったんですね。情けないたらないですよね。  そして私は柄にもなくはしゃいでしまいました。だってみんなが優しかったんです。きっと夏休みや、花火や、ちょっと悪いことをしているような空気感に酔っていたんですね。いつもは私なんかそこに存在しないかのように振る舞っているクラスの頂に位置するような女の子が私のことを『佐田っち』なんて呼んで、肩を組んで写真を撮ってくれるんですよ。もう有頂天です。あんなに日々斜に構えて生きていたくせに、たったそれだけのことで今思い出しても恥ずかしいほどに私は浮かれてしまったんです。  カラフルな手持ち花火で宙に絵を描いたり、男子達が打ち込んでくるロケット花火からキャーキャー言いながら逃げ回ったり、線香花火のささやかな煌めきの中で語り合ったり、夏の夜の校庭の真ん中で私はあれだけ忌み嫌った青春らしい時間を心の底から謳歌してしまいました。  そして最後に一発だけ残っていた打ち上げ花火が夜空に咲いたところで私の夢のような時間は終わりました。でも私の人生は、青春はこれからがスタートだとその時は思っていました。心が弾んでいました。本当に愚かでした。  異変に気づいたのは皆で校庭から校門への長い坂を下っているところだったと思います。いくら夏の陽が長いとはいえもう夜も十分に更けていたため、一緒に歩いているクラスメイト達の人影はわかるけれど顔を寄せないと誰だか認識は出来ない。そんな時間帯でした。私たちは三十人からなる集団ではありましたが、縦横に広がっていたため実際には二〜五人程度の小グループをいくつも形成して歩いていました。  そこで、私、独りだったんです。前にも後ろにもグループはあるのに私だけが独りだったんです。それでも、その時はたまたまだろう、たまたま自分の周りに誰もいなかっただけだろう。と甘く見積もっていました。そして私たちは校門を下ってすぐのところにある私の家の前に差し掛かりました。私は当然自分の家の玄関の方へと折れます。みんなはそんな私を何事もなくスルーしました。一度、玄関のノブを握って、離して、改めて振り返りましたがそこには誰もいませんでした。私を佐田っちと呼んだ彼女も、一緒にしゃがんで気になる男子生徒の話をしてくれた彼女達も、私に向けてネズミ花火を転がしてきた男子も、誰も。  それは強烈な孤独でした。どうしてでしょうか、孤独なんてずっと慣れっこだったはずなのに。その日感じた孤独はそれまでとは別種の、痛くて苦しくて千切れてしまいそうなそんな孤独でした。  やがて、夏休みが明け二学期になりました。  そこには一学期と何も変わらない日常がありました。  佐田っちは佐田さんに戻っていました。  あの夜、数人の女の子達と交換したメールアドレスにはとうとう一通の手紙も届きませんでした。  私はあの夜のことをひどく、ひどく、後悔しました。どうして言われるままにのこのこついていってしまったんだろう。どうして普段心の中であんな見下していた人達の仲間に入れてもらえたことに有頂天になってしまったんだろう。と。  クラスメイト達の口からからあの日のことや、花火という言葉が聞こえてくるだけで私は顔から火が出そうなほどに恥ずかしく、口から胃が出そうなほどに苦しくなりました。きっと彼ら彼女らの携帯電話の中にある、あの日撮った沢山の写真の一部には浮かれた私の恥ずかしい姿が納められていることでしょう。そしてそれを見るたびに普段無口で孤高を気取った根暗女の哀れな姿を思い出してはそれを肴に笑い合う『クラスのみんな』を何百回も想像しては吐き気を催すほどに苦しみました。  そして私は花火が嫌いになりました。    ごめんなさい。また脱線が長くなってしまいましたね。  あの忌まわしい夏の日から十五年以上の年月を経た私が何を思ったか唐突に花火をしようなどと考えたのが、六年前の八月七日のあの日のことでした。  花火というものに対し並々ならぬ悪感情を抱いていた私がなぜそんな決断に至ったのか、明確な理由はわかりません。魔が差したのか、運命に導かれたのか、喉元すぎて熱さを忘れたのか、それはわかりません。ただやはり母の死が当時の私の精神を大きく歪めていたことは確かだったと思います。  その日からちょうど一ヶ月前の七月七日に母は私を残して天の川へと旅立って行きました。  母一人子一人の母子家庭で育った私に、母の喪失という事実の重さが確かな感覚としてのしかかってきたのがその頃だったと思います。  友人も失い家族も失い世界の隅でたった独りになってしまったという実感が、真夏の持つ光の強さに対比して浮かび上がってしまったんでしょうね。私はやはりおかしくなってしまったんだと思います。  そのまま何かに魅入られたようにフラフラと外に出た私は、近所のスーパーに行きバケツ、ライター、小さな花火セットを購入しました。  そのまま自分の住むアパートのすぐ目の前にある公園に向かい、水飲み場でバケツに水を汲むと、公園の隅のなるべく人目につかないに場所にしゃがみ込みました。幸い、その小さな公園には他に人がいませんでした。  無心で花火セットを開け、数本の花火を取り出し火をつけます。  手持ち花火から吹き出す毒々しいまでに鮮やかな赤や緑の光はなんだかこの世のものではないようで、夕方から夜へと落ちていく外の空気の中で異様に輝いて見えました。  派手で鮮やかなのに僅か数十秒で枯れ果てていく花火の火を絶やさぬよう一本また一本とその命を繋いでいきます。  燃え尽きた花火を水につける瞬間の音や立ち込めていく煙の匂い、バケツに積み上がっていく骸の山が、派手に燃え盛る花火の向こうに揺れていて私に夏の裏側を魅せてくれます。  一心不乱に命を繋ぎ、六本目の花火に火を移そうとした次の瞬間、私は後ろから肩を叩かれ危うくその花火を落としそうになりました。  私が恐る恐る振り返ると、そこには見知らぬ初老の男性の姿がありました。  「すみませんが、この公園は花火禁止になっていますので……」  彼の言葉とその目には怒りや蔑みではなく、恐怖の色がありありと見て取れました。そりゃそうですよね。独りで一心不乱に花火を楽しんでいる女なんて怖いですよね。今となっては本当に申し訳ないことをしたなと深く反省しています。  しかし、当時の私は突然現実に引き戻されたショックと恥ずかしさで動揺してしまい……慌てて立ち上がろうとしたのですが、長時間のしゃがみ込みにより足は痺れていてうまく立ち上がれず、あっと思った瞬間には膝から崩れ落ちてしまい隣にあったバケツをひっくり返してしまいました。  男性はそんな私を見てもはや怯えたように。  「と、とにかくここでは花火禁止なので、片付けてください……伝えましたからね!」  そう言い残して足早に去って行きました。私はそんな男性の背中に向けて、四つん這いの体勢のまま「すみません……すみません……」と蚊が鳴くような声で謝ることしかできませんでした。さぞ恐ろしい思いをさせてしまったことでしょう。  全ての花火の後始末を終え、砂や煙や汚水で汚れた服の表面を気休めに払って、私は公園を出ました。アパートへと帰るための僅か百メートル足らずの道がその日はいやに人に溢れ賑やかで、しかも皆私とは反対の方へと歩いて行きます。  いい歳して公園のルールすらも守れず知らないおじさんに注意され、服を汚し、右手には花火の残骸が入ったバケツ、もう片方の手にはもう二度と封を開けることはないであろう残りの花火セットを抱え、サンダルをヘコヘコさせながら独り歩く私は惨めそのものした。  他人様の邪魔にならないようなるべく道の端を選び、視線を落とし歩いていく様はそのまま私の人生みたいでした。  すれ違う家族連れやカップル達の笑い声は全て私に向けられているのだという自覚がありました。歩くたびにどんどん私の視線は落ちていきいよいよ自分の足元しか見えなくなりました。だから鼻先に迫った電柱に気付くのが遅れたんだと思います。  私はぶち当たるすんでのところで気付いてできる限りのスピードで体を横にスライドさせ身を躱し、たと思ったらサンダルの先がコンクリートに突き刺さり足首がぐねるようになり、鈍い痛みとともに私は道路の真ん中へ向けて派手にすっ転びました。  ああいった瞬間ってのは本当にスローモーションのように感じるものなんですね。  コケる瞬間、ゆっくりと迫ってくる地面を感じながら私はただただ己の惨めさを呪いました。これまでの人生、惨めなことだらけでした。そしてその度に影で笑われては、他人の笑いのネタにされてきたことでしょう。きっと公園のおじさんも今頃は妖怪花火女のことを面白おかしく家族に話しては笑っているのだ。そしてこの道にいる人たちもこんな惨めな私のことをヒソヒソと笑い、次の瞬間にすっ転んだ私を見ては大爆笑するのだ。そうに違いない。花火なんてやらなきゃよかった。なんで花火やろうなんて思っちゃったんだろう。  そんなことを思いながら、体が地面に触れる寸前、私が最後に見た光景は少女が履く下駄の鼻緒でした。え?なんで下駄?浴衣?と思った次の瞬間、私の後ろでドーンという大きな音が空に響きました。ほぼ同時に私はすっ転びました。  わー!と、歓声が沸きました。そしてその場にいたみんなの口から「始まった!?」「いや、あれは開会の合図みたいなのじゃない?」「ママ早く行こー!!」などとにわかに色めきたつ声が発せられました。その声は全て地に伏す私とは反対方向にある空の向こうに投げられているようでした。  誰も、私のことなんか見ていなかったんです。  私は半身を起こして遠い空を眺めます。そこにはもう先程は暮れの空を彩った花火の姿はありません。道ゆく人はもう空を見上げるのはやめてまた普通に歩いています。私のことは大きな石ころかのように無関心に避けて流れて行きます。  その時にようやく気づきました。私が惨めな姿を晒していることも、すっ転んだことも、公園でバケツをひっくり返したことも、佐田っちなんて呼ばれはしゃいじゃったことも、そんなの誰も気にしちゃいなかったんです。ただ、私だけが独りでずっと誰かに見られている笑われていると思い込んでいただけだったんです。  私は、少しだけ心が軽くなるような、救われるような気がしました。  そして、散らばった花火の残骸達を集めて再び立ち上がろうとしたその時、足首に先程ぐねった時の痛みが強く走りました。つかの間見えた僅かな希望すらも砕くようなそんな痛みでした。  再びその場にへたり込んだ私の心をまたも暗雲が覆います。  誰にも見られていないということは誰にも見えていないということで、そんな人生になんの意味があるのか。と。  きっとこれからも時は流れ続け、世間に惨めな姿を晒しながら私は日一日と朽ちていく、そしてそれを誰にも笑われることすらもなく消えていく。誰の記憶にも私は残らない。そんな人生をなぜ苦しんでまで全うしなければならないのか。  母の姿を想いました。病が心と身体を蝕み、花のような笑顔は消え、塞ぎ込む日々。それでも決して母は自棄になったり私に暴言を吐くようなことはありませんでした。あらゆる苦しみに静かに耐え一秒でも長くその命の火を燃やそうと懸命に生きた最期の姿。派手ではなかったけど、長くも生きられなかったけれど、静かに美しく燃えた線香花火のような人生でした。  そんな母が最後にぽとりと落とした命の火が波紋となって私の心を揺らし続けているのを今でも感じるのです。  母が綺麗だったこと、時に厳しかったこと、作った酢豚が美味しかったこと、そんなことをもうきっと誰も覚えていない。私だけがその火を受け取っている。だから私は生きなければならない。私自身は誰の心に残らなくとも、火を継げなくても、大好きだった人がこの世界に存在していたことの証として私は生き続けなければならない。  それが私の生きていく意味だと気付きました。  だから、あの日、痛む足を地面に踏ん張り無理をしてなんとかよろよろと立ち上がって歩き出そうとした私に、たった一人優しく手を差し伸べてくれたあなたのことを世界が忘れないように、私はこれからも生き続けていきます。              
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