蝉の嘘を愛するひと

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 冷蔵庫の中に残された消費期限切れの食材や調味料を処分していると、開けたベランダの向こうに父が立っていた。  黄昏時の太陽が逆光となって、その輪郭があいまいになる。  西日が強くて、部屋の温度がさらに高くなったように感じた。 「そこで何してんの」 「きょうは花火大会だろ? ここからでも見えるんだぞ。ものすごく小さいけどな」  見よう! と四十を前にしたとは思えないほど無邪気に笑うので、俺は仕方なく冷蔵庫の中の冷えた缶ビールとりんごジュースのペットボトルをとった。プリンも忘れない。  ペットボトルを脇にはさみ、缶ビールのプルタブを開いて、ベランダの欄干に置くと、父が目を見張った。 「なんだ、いたれりつくせりだな」 「きょうだけな」 「うん、ありがとう」  父は照れくさそうに笑った。その足元はなぜか裸足だった。  ベランダにひとつしかないサンダルを、どうやら俺に譲ってくれたらしい。  俺は雨風にさらされてボロボロになったサンダルを履いて、西日でじりじりと肌を焼かれながら父の隣に並んだ。背の高いマンションや建物の向こうに、黄金色に輝く海が見えた。  父はビールには手をつけず、遠くの海を眺めながら言った。 「で、何か悩んでるのか? 大学のことか?」  約一カ月前、レストランで会ったときにどこの大学に行くかで悩んでいる、と話したことがあった。  ここに来た理由も大学関係だと思ったのだろう。  俺はペットボトルのキャップを開いて、冷えたりんごジュースを口に流しこんだ。思っていた以上にのどが渇いていたらしい。 「それはもう決まった」 「なんだよ、やっと父ちゃんを頼ってくれるようになったかと思ったのによ」 「うるさい」  キャップを閉めて、今度はプリンを手にとったとき、コツンと爪先に何かが当たった。  俺の足元には、ひっくり返って腹を見せている蝉がいた。「げっ」と頬を引きつらせて後退りする。  隣に立つ父は平気なのか、余裕たっぷりに笑った。 「お前、本当に虫が苦手だな」 「仕方ないだろ、蝉は暴れるんだ」  爪先が当たった衝撃で覚醒したのか、蝉は透明の羽をばたつかせて、何度か欄干にぶつかりながらも黄金と群青が混じる空へと飛んで行った。
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