蝉の嘘を愛するひと

1/4
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 花火の場所取りをしようと、海の近くへ移動しようとしたとき、爪先にコツンと石のようなものが当たった気がした。  薄暗闇の中で目を凝らすと、透明な羽を持つ蝉が仰向けに転がっていて、思わず悲鳴をあげて飛び退る。 「どうした、千歳。あぁ、蝉な」  隣にいた父が俺の足元を覗きこむと「もう死んでる」と言って、死んだ蝉をわざわざ道の脇にある植えこみに移動させた。  一緒にいた従妹の少女が、俺を上目遣いに見ながら言った。 「ちい兄、どうして蝉って、ひっくり返って死んでいるの?」 「物につかまるための脚の力が弱くなるから、ひっくり返っちゃうんじゃないかな」  テレビで得たばかりの知識を伝えると、従妹はぽかんと口を開いて、まばたきする。  すると、蝉を土の上に置いてもどってきた父が言った。 「蝉も花火を見たかったんだよ」  ほら、と父が夜空を指差すと、タイミングよく大輪の赤い花火が咲いて、すこし遅れてドンッと爆発音がひびいた。花火は鮮やかな余韻を残して、群青色の空にとけていく。  空を見上げた従妹が無邪気に笑顔を浮かべたので、まるでお前はまちがっていると言われたような気分になって、納得がいかなかった。  俺は父をじっとにらんだ。父は、たこ焼きの入ったトレーを片手に夜空を見上げている。  まだ少年の面影を残した父の横顔は、俺とちがって陽気な性格がにじみ出ていた。 「なんでそんな嘘を教えるんだよ」  父は不機嫌になった俺にはおかまいなしの様子で、次々と打ちあがる花火を眺めながら言った。 「蝉がどうして死んだかより、最期に花火を見たかったんだって考えたほうが優しいだろ?」 「そんなの、あんたの都合の良い解釈だろ」  俺が吐き捨てるように言うと、父さんは「そうかもなぁ」とたこ焼きを食べながらうなずいた。  だらしなくて、いつも母さんに怒られてばかりの情けない父親のくせに。  怒りで頬が熱くなる。  なぜか負けた気分になった俺は、意地を張って、空に咲く大輪の花からわざと目を逸らした。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!