ふたり

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ふたり

 R・ホテルの前の道は弥生の通勤路だった。だから、もしかしたらまた龍とはちあわせになるかもしれない、とは思っていたが、本当に龍を見つけた時には驚いた。  夕食をご馳走になってから、そう日はたっていなかった。弥生が毎日行き来する、駅ビルに続く人通りの多い商店街のメインロードだ。龍はその真ん中を、ファミリーサイズと思われる大きなフライドチキンの容器を両手で抱えて、弥生のいる方へ歩いてきていた。  弥生は龍を見ながら歩いた。  途中で、龍は弥生に気付いた。 「やあ、買い物かい?」  そこで弥生は初めて、龍に笑顔を見せた。 「すごい違和感ね」 「え?」  人込みで騒がしく、龍は弥生の声が聞き取れなかった。 「似合わないって言ってるの。高級スーツに身を包んでいる人が、フライドチキン嬉しそうに抱えちゃって」 「え、嬉しそうだった?」 「うん。顔がほころんでる」 「ははは。そうかい?実は僕の好物でね。でも、そんなに顔に出てた?」 「ホクホクしてるよ。そんなにチキンが好きなの?」 「悪い?」  龍は少し拗ねたように言った。 「悪くないね」  二人は公園でチキンを食べることにして、人込みを抜け出した。  弥生は会社帰りで、とてもお腹が空いていた。龍もあまり考えずに沢山買ってしまったので、弥生に出会って助かったと喜んでいる。  役所に隣接した公園は広くて綺麗だった。利用者が多いためか、石造りのテーブルと椅子はかえって汚れていなかった。二人はそこにすわった。 「やっぱり、チキンは骨が付いていないといけないね」 「骨はない方がいいな。食べにくいもん」 「骨なしはこっちだよ」  龍は骨のないチキンを弥生にすすめた。弥生はそれを取ってかじりつく。 「でも、この骨付きにかぶりつくのがいいんだよ」 「家ならともかく、外では食べられないな」 「え、もしかして、僕の口、油だらけ?格好悪いな」  龍は紙ナフキンで口のまわりを拭いた。 「そんなには汚れてないよ。結構上手く食べてる」  龍はそう言われて、はにかむように笑った。まるで子供の表情だった。普段の龍の生活からは生まれてこない表情だ。  弥生はその顔を見ながら、チキンを食べる。龍も負けじとかぶりつく。二人はしばらく、食べたり笑ったり忙しかったが、ふと、龍の視線がそれた。弥生は龍が目をやった方に目を向けた。芝生にすわっている恋人達だった。男の方は携帯灰皿を片手に煙草を吸っていた。 「どうしたの?」 「あ、いや」 「煙草吸いたいの?」 「いいや、違うんだ。君は煙草吸うかい?」 「ううん」 「僕もだよ」  芝生の男は、大きく煙を吐き出した。  龍はチキンを食べるのをやめ、紙ナフキンで手を拭いた。  弥生もそろそろお腹が一杯だった。あまり沢山食べられるほうでもなかった。龍に付き合って、食べるのをやめ、手を拭く。 「僕がまだ小さい頃だけど、煙草の火が原因で家が火事になってね。それで父が死んだんだ」  言ってしまってから龍は、驚いたように弥生を見た。今まで誰にも話した事はなかったのに、つい弥生に喋ってしまった自分に驚いたのだ。 「ごめん。その、つまらないこと言ってしまった」  弥生は間をあけて言った。 「つまらない事じゃないわ」 「……人に話してしまったのは、初めてだ。……君は、変な人だね」 「私のせい?」 「そうだよ」  龍はそう言って、急に笑い出した。  少しむくれていた弥生も、つられて笑った。 「何よ、そんなのってある?」 「ごめん。けど、他に言いようがなくて」  二人はひとしきり笑うと、お互いに呼吸を整えた。  そして、龍は真面目な顔をした。 「僕は香港生まれでね。でも父が死んで、すぐにイギリスに渡った。それから、アメリカに行って、それは子供時代だけどね。今は北京に住んでる。職場のボスは子供の頃から世話になってる人でね、僕の父親代わりみたいな感じだね。今は休暇で日本に来てるんだ。もう来週には帰らないといけない」 「嘘よ」  弥生も真面目に龍を見かえしていた。 「私、ほとんど嘘をつかない人なの。だから、嘘をついてる人って、勘で判るのよね。あなた、日本には仕事で来てるんじゃないの?私に嘘をつく必要ってないと思うけどな。無駄な嘘は、疲れるだけよ」  龍は言葉に詰まった。  よく判らない。  なぜ自分は、この娘に惹かれるのだろう。  ただすれ違っただけの、日本人の娘だ。  人に道を譲ろうとしない娘だ。  自分を冷たく睨んだ娘だ。  龍の運転手兼用心棒の男は大の日本人嫌いだった。日本語も知っているが使おうとはしない。今も何処かで龍を見守っている筈だ。弥生と一緒にいる自分を、どう思っているだろうか。  しかし、弥生に惹かれている自分を感じずにいられなかった。  龍は仕事については答えず、逆に聞き返した。 「本当に嘘をつけないの?」 「とぼけたり、黙ってたりするのは嘘には入れないのよ?だったら、そうね、最近では思い出せないくらい言ってないな」 「どうして嘘をつけないの?」 「聞きたいの?」 「うん」 「私の父も早くに死んだの。私は父が大嫌いだった。お酒に飲まれる人で、愛人もいた。母が夜一人で泣いてるのを、小さい時から見てたわ。小学校六年生の時、離婚の話しが持ちあがったの。その頃、私、父の愛人に会ったわ」 「会いに行ったの?」 「ううん。向こうが私の顔を見に来たの。私を引き取るかどうか、品定めのためにね。学校から帰ると、家の前で待ち伏せてた。父も嫌いだったけど、その女の人も、決して好きにはなれなかった。顔も姿も一度見ただけで嫌いになった。何処でどういう形で出会ったとしても、あの人とは肌が合わない。そう思えるほど気に入らなかった。なれなれしく話しかけてきて、口が滑ったのか、母の事をバカにしたの。私、頭にきて嘘をついたわ。父は母と別れて他の人と結婚する事になってるけど、あなたじゃない。写真も見たし名前も知ってるけど、あなたなんかじゃない。あなたより美人で優しそうな人だった。先日、父と三人で食事する約束もした。あなたのことなんか私は知らない。私は家に入って鍵をかけた」  太陽がだいぶ傾いてきた。夕焼けの光がゆっくりとのびていく。 「その晩、父がその女の人に殺されたの。紺と赤の細い線のチェックのネクタイで、首を絞められて死んでいるのを、私が見つけたの」 「……君が?」 「父は別にアパートを借りてた。私、その女の人のせいで凄く腹が立っていて、その夜、母に言ったの。私の事は気にしないでいいから、別れたいなら早く別れてくれって。私はお母さんについて行く。それが嫌でないなら早く決めてくれって。それで、やっと母は離婚届を書いた。だから、私は次の日、それを父のアパートに持っていったのよ。文句の一つも言いたかったから、母に私に行かせてくれって頼んでね。そうしたら、父は死んでた」  龍は髪をかきあげた。 「それから、嘘をつくのは苦手ね」 「聞いたのは、悪かったかな」 「悪けりゃ言わないわ」 「そうかい」 「だから、あなたも無理に答えなくていいのよ」 「いや。悪くない。そうだよ。本当は仕事で来てるんだ。嘘を言った理由は、多分、休暇だと言った方が格好いいからだね」 「何の仕事?」 「貿易業」 「そう。内緒にしておきたい貿易業なんだ」  龍は心臓をつかまれたような気がした。 「もういいよ。それ以上言わないでくれ」 「ごめん。勘がいいのも欠点ね」  俯いた龍を見て、弥生は少しだけ後悔した。別にいじめるつもりはなかった。ただ頭に浮かんだのだ。密輸という言葉が。確証があった訳ではない。しかし、龍の態度を見ると、その勘は図星だったようだ。  いくらでも、ごまかせるのに。  龍は吹っ切るように顔を上げて、背伸びをした。 「正体がばれたところで、そろそろ帰ろうか。春とは言っても、夕暮れはちょっと肌寒い」 「……ごめんね」 「何がだい?」 「あなた、自分の仕事好きじゃないんだね」
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