1.美味しそう、美味しそう、と頻繁に言われます。

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『なぁなぁ。友香、来てるだろ?』  不意に声が響き、ひょっこりと男が顔を出した。ぼさぼさの赤茶色の長い髪をし、平安時代のような格好をした男だ。言うまでもなく、人間ではない。 『友香がお持ち帰りしてきた男が階段の下でうろうろしてるぞ』 「知ってるー」 「知ってるー」 「みんな知ってるー」  華月と美月、夢月が男に応えながら順に片手を上げる。男は夢月を見やって言った。 『なんで夢月、マッパなんだ?』 「夢月、早く服を着なさい。パンツはどこなの? パンツは? パンツは自分で履きなさいね。あ、そう、パンツと言えば、下の男。靴を片方、履いてないわよね?」  パンツを連呼した挙げ句、弟のパンツから『と言えば』で霊の靴に話が飛ぶあたり、さすがです、お姉様。普通ではない。  散らかった夢月の制服を次々とハンガーに掛け、夢月の部屋着を持ってくると、手厚く着替えを手伝っている。その様子は、もはや姉というより母である。 『あれ、どこで拾って来たんだ?』  男が言う。先ほど、平安時代のような格好だと表現したので、雛人形の親王様のような格好をイメージしたかもしれない。残念。違うのである。  水干という格好で、貴族に仕える平民の格好である。分かりやすく雛人形で例えるなら、下段に飾られる靴やら傘やらを持った三人組の格好がそれだ。しかも、それをかなり着崩している。 「踏切。――ほらね、母さんがいなくて友香がいると、先詠(さきよみ)が主屋にやって来る」 『お前らの母親、苦手なんだよ。やり合えば勝てるとは思うんだが、執念深そうだろ? ああいう女、俺はダメだな。それに比べて、友香は良い。なんたって良い匂いがする』 「美味しそう?」  『美味しそうだな。だけど、それだけじゃなくて、なんていうか、近くにいると、うきうきしてくるっていうかだな』  先詠は居間の奥まで入ってくると、ストーブの前で座り込んでいる夢月と友香の方へ歩み寄って来た。だが、先詠が一歩、また一歩と歩むたびに、先詠の体の輪郭が歪む。  まずその頭に三角の大きな耳が生え、お尻からはふさふさした赤茶色の尻尾が生える。二足歩行していた体が前に傾き、気が付くと獣のように四つ足歩行になっている。獣のように? いや、まさに獣だ。それは大きな大きなイヌ科の獣。――狼だ。  赤茶色のふわふわな毛で覆われた妖狼は、友香の膝元までやってくると、友香に体をこすりつけるようにその周りをぐるりと回ってから、友香の前でごろりと寝転ぶ。 『さあ、友香。俺様のことを撫で回して良いぞ』 「えっ、えぇー」 「先詠、本性まる出しになっているじゃないか」 「本性というよりも犬ね。その姿、犬にしか見えないわ」 『友香の前では大抵の妖怪がこうなるもんなんだよ。無性に友香を食べたくなるか、無性に甘えたくなるか。お前らも半分以上妖怪なんだから分かるだろ?』  思い至る節が有り有りなのだろう。三兄妹は黙り込む。一方、友香は目の前のふさふさな毛並みに欲望を抑えきれず、妖狼を撫で回し始めていた。
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