撃ち落とせ、花火

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「花火大会、今日だってさ」  汐はあくびを一つこぼす。西日が差し込む教室は、いつまでも補習課題をやらない私たちの二人きりだった。担当の先生は咳払いを一つ残して出ていったきり、戻ってこない。  大方一向に取り掛かる様子もない私たちに嫌気が差して、職員室に綺麗な空気を吸いにいったんじゃないかな。  隣町から汐が越してきたのが、十五年前。世間では私と汐を幼馴染と呼ぶ。ちなみに今は同じクラスで、隣の席。汐曰く「俺がいる毎日とか最高だろ、感謝しろよ」らしい。はっきり言ってこういうところが全然理解できない。まあ理解はとうの昔に諦めたのだけど。 「冷房効いた部屋でアイス食べてたいよ」 「同感」 「そのためには課題……なんだよな」  汐はプリントを一枚持ち上げて、ひらひらと冷房の風に晒す。 「昔から変なところに真面目だよね、あんた」  私のペンケースはさっきから一度も口を開けていない。一応シャープペンシルと消しゴムぐらいは入っていると思いたいが、それも怪しい。  汐は唸って、それから大きく伸びをした。左右につけたピアスが、痛んだ薄い茶髪が、きらきらと蛍光灯の光を受ける。私は自分の耳に手を伸ばした。今日は大きなリングのピアスを付けていたはずだった。 「私たちさ、この学校から浮いてるよね」  脳内整理もせず、不用意に音がこぼれた。私は滅多に思ったことをそのまま口にはしない。でも、汐だったらいいかな。そんな考えが口にしたあと過る。敢えて訂正はしなかった。 「浮いてるってなんで?」  髪よりもやや色素の濃い垂れ目が、私をぼんやりと眺める。本当に不思議そうに。 「え? あんた自分が浮いてるとか考えたことなかったの⁉︎」  例えば染髪禁止だとか、ピアス禁止だとか、指定のシャツを着ろだとか。スカート丈は膝丈だとか数えきれないほどのルールを破っている私たちが、浮いていないと思ってたことに驚愕する。  いやいや、一つ下の田舎町から入学早々転校してきた美人の転校生より話題に上ってるよ私たち。  そういや昔から、汐は変なところで周りからの視線に疎かった。 「俺と紗良が補習常習犯のバカだから? それとも男子同士、女子同士でつるんでないから? たまに授業サボってチャリで海なんか行っちゃうから?」  本当に純粋に、真っ直ぐな目の色で汐は私を見つめる。私はその質問に答えられないまま、彼の瞳が子供時代と変わっていないことを思い出す。  紗良ちゃん、紗良ちゃん。そう言って私の少し前を歩き、振り返ってくれた優しい目だ。 「あんたに、私はどう映ってる?」  今日の私の口はお喋りだ。ペンケースぐらいきっちり閉まってくれたらいいのに。 「青色の髪、大きなピアス、赤のリップが似合ってて。目つきはちょっと悪いかな」  外観的な特徴を上げて、彼はふははと愉快そうに笑う。 「それから、気が強くて優しくてちょっと繊細。そういう所、変わってないなって思うよ」  にかっと歯を見せ、汐は髪をぐしゃりとかき上げる。 「なあ、紗良。花火しようぜ」  私は返事をしなかった。机の上のペンケースと鏡を掴んでリュックに放り込む。 「……あんたのそういうところ、最高」  ヒュー。ドン、ドン。ドドン。少し遠くで、花火の上がる音が聞こえる。風船の空気が抜けたみたいな音がして、次に空気を震わせるような低い音。  時計を見ると午後八時。丁度、花火大会が始まったようだった。私たちはビニールの袋をバリバリ破いて、水を張ったバケツで花火の抜け殻を押さえる。  私と汐はあのまま教室を抜け出して、駆け足で校門も飛び出した。そろそろ戻ってくるであろう先生と、数学のプリントを二人きりにしてあげたのだ。  自転車のペダルを漕いで、なんかよくわからない寄り道をした。いつもの通学路から逸れてみたり、裏道を通ってみたり。喉が渇いたら、自販機でサイダーを買った。それから近所のコンビニも行った。イートインコーナーで買ったばかりの唐揚げを齧ってお腹を満たしながら、くだらないことを話したりして。店内に流れる音楽を後にして自転車のスタンドを蹴る頃には、いいぐらいに空が暮れてきていた。  そして再びこっそり校門を通り抜けて、ここ裏庭へ戻ってきた。校舎は一つも電気がついていなくて、ぱっと見たところ無人のように見えた。  それが十五分前の話。  手元の花火に汐がライターで火をつける。 「うわ、不良じゃん」 「紗良ちゃんはお子ちゃまだから持ってないってか」  けらけらと汐は私を揶揄った。私はポケットに忍ばせたまま、一度もつけたことのないそれをずいと汐の目の前に突き出した。 「お前もじゃん!」  ふははと大きな口を開けて汐は笑った。 「うるさい、バーカ」  私は一番大きなしましまの花火を掴んだ。笑っていた汐が手で制すので、じっと待つ。  彼が火を灯すと、しゅわっと音を立てて光が噴き出した。 「すごい! めっちゃ火、飛ぶね!」  勢いよく爆ぜては消える光を手にして私は声を張り上げる。二人きりの校庭はそれでなくとも十分に賑やかなのに、なぜか叫び出したくなってしまった。 「こっち向けんなよ」  一瞬眉を顰めた汐が、ぱちぱちと弾ける明かりに照らし出される。瞬きをするように繰り返される明暗。  汐は私と同じ手持ち花火にゆっくりと火をつけていた。彼の手元からも色鮮やかな光が、弾ける。ぱちぱち、ぱちぱち。 「花火って楽しいのな」 「だね。めっちゃ高いけど」 「それは忘れろ」  私たちは調子に乗って片っ端から火花を咲かせた。両手に花火を携え振り回したり、くるくる回るもの花火から逃げ回ったり。それはそれはバカみたいに騒ぎ立てた。  そんな風に惜しげもなく次々消費したものだから、派手な手持ち花火は全て無くなった。あっという間だった。  私は少し寂しくなって、添え物のように残っていた細く小さなそれを二本そろりと群れから剥がした。  線香花火だ。 「汐、まだ花火あるよ」  糸のような持ち手を、骨張った手に押し付ける。 「線香花火かー」  わかりやすくがっかりした彼の手元に火を宿す。たちまち薄いオレンジと黄色が混ざって咲いた。 「ちゃんと持っててよ」  念押しをして自分の線香花火にも火を付ける。カチリとライターの小気味よい音が耳を打つ。  ぱちり、ぱちぱち。大きな丸い球の周りを細く頼りない光が、花が、咲く。さっきまで燃やしていた派手な花火よりも静かで、燃えている時間が少しだけ長く感じる。  ぱちぱち、ぱちぱち。空気に溶けていく火を眺める。横目で汐を見ると、彼の火種はとっくに地面に落ちていた。  ドドン、ドン。お腹まで響く街の花火が少しだけ空から覗いた。多分、一際高く上がったものだろう。私は再び手元の花火に視線を戻す。  何度目かの低い破裂音が鳴った時、手元の花はぽたりと落ちた。 「紗良のは長かったな」  汐は私の線香花火が燃え尽きるのを、待ってくれていたようだった。 「もう一回しようよ」 「おう」  今度は汐が火を付けて。私たちはそうやって炎を咲かせきった。  最後の一滴が落ちたのは私の方が早かった。汐のものはその数秒後にぽたりと落ちた。 「終わっちゃった」  汐と私は手持ち無沙汰で空を見上げた。まだそこに自分たちの花火が残っているような気がしたんだと思う。  でも聞こえるのは低い破裂音ばかりで、あの眩しい光はどこにも、欠片さえ見当たらなかった。花火大会もきっと終盤なんだろう。目玉の大きな花火が終わったのかもしれない。  私たちは煙が僅かに残る裏庭で、しばらく空を見上げていた。 「帰るか」 「汐」  汐が立ち上がったのと、私が彼の名前を呼んだのはほぼ同時だった。 「なに」  汐はバケツの水を溝に流しながら返事をする。 「花火がさ、降ってきたらいいのにね」  今少しずつ小さくなっているであろう街の花火も、私たちの手元で爆ぜていった花火も、全部。撃ち落として、私の今の気持ちと一緒に夏に閉じ込めてしまえたらいいのに。 「何言ってんだバカ、火傷するだろそんなの」  汐は大きなため息を吐いて、バケツを手に下げる。 「いやまあ、そうなんだけど」  私も立ち上がって、ゴミを集める。夏の花の咲き残り。 「ま、でもさ。花火はまたしようぜ」  なんでもないことみたいに汐が言った。私と同じように、ゴミをバケツへ入れながら。 「うん」  私はすぐに返事をして、笑った。汐の言葉で当たり前に続く夏が、嬉しくて。  別に誰かと同じじゃなくても、みんなと同じじゃなくてもいい。私は私で、汐は汐。それでいて、私と汐はとびきり気が合うのだから。だから、この夏を一緒に過ごすのは、汐がいい。汐とバカをやって叱られても、そのせいでクラスに馴染めなかったとしても別にいい。  この夏は、バイトしたお金をもう少し貯めておく癖をつけよう。次はもっといっぱい入った花火セットが買えるように。  胸の辺りがじんわりと暖かくなる。湿気を帯びた外気と違って、きらきらした温度だった。私は子供のようなことを考える。撃ち落とした花火は、こんな温度かもしれないな、とか。  大きな空に咲く花もその一欠片を手元に置いたら、さっきの線香花火みたいな光になるのかもしれない。淡く小さな光。壊れてしまいそうに弱くて、あたたかい光だ。私が望むのはきっとそれなんだと思う。 「紗良、行くぞ」  静けさを取り戻した空気に、汐が私を呼ぶ声が溶ける。 「待ってってば」  私は置いていかれないように、夏の始まりを慌てて掴んだ。
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