第一章 シンガポール・スリング

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第一章 シンガポール・スリング

「……凛ちゃん、はじめて?」  内腿を伝う人差し指がゆっくりとその動きを止めたとき、私は銃を突き付けられたみたくひゅっと息を呑んでしまった。  きつく瞑っていたまぶたをおそるおそる開く。見慣れない部屋の暗闇の中、橙色の常夜灯に照らされた彼が、きれいな瞳で私を見下ろし困ったように微笑んでいる。 「は、い。……すみません」  肯定とともに出てきた謝罪は、たぶん私なりの懇願だ。  処女ってやっぱり面倒なのかな。嫌だなって思われたかな。  でもお願い、続けてほしい。今夜は一人にしないでほしい。 「謝ることじゃないよ。でも、本当に大丈夫?」 「平気です、怖くない」 「そうじゃなくて。女の子なんだから、こういうのは本当に好きな男のためにとっておいた方が良いんじゃないの。……こんな」  軽く持ち上げた私の膝頭を、彼の柔らかな髪が撫でる。 「二度と会わない俺みたいな男にくれてやるのはもったいないよ」  心臓に直接爪を立てられるような、痛み。  汗ばんだ肌が一気に冷えて目の前が暗くなっていく。二度と会わない。そんなの、わかっていたことではあるけれど。  見下ろす彼から目を逸らし、私は軽くシーツを握る。身じろぎするだけでふわっと香る男の人の肌のにおいに、脳の神経が甘く痺れて凍えた芯に火が灯る。  遠い異国で偶然出会った、今朝まで他人だった人。  このひとときが過ぎ去ってしまえば、すべてはきっと夢になる。長い人生の一瞬として、ただひとかけらの思い出と化す。  ――だからこそ。 「いいんです、私」  天井へ向かって伸ばした足先で彼の背中を掻き抱く。  それから目を見る。私の中の、ありったけの熱を込めて。 「玲一さんがいい。……はじめては、あなたがいい」  彼は大きな瞳を少しだけ細め、探るような目つきで私を見つめた。からかうような、憐れむような、……でも、その中に確かな甘さを秘めて、彼は小さく口角を上げる。 「そう」  ふいに触れられた足首が跳ねる。彼は私の足先に頬を寄せ、暗闇の中でぼんやり浮かぶ白いくるぶしにキスをした。 「じゃあ、とびきり優しくしないとね」  ベッドが軋み、影がゆっくりと私を覆う。
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