204人が本棚に入れています
本棚に追加
一瞬、彼女に近付いた。
「え……」
テーブルにハンカチを置いたその瞬間、小夜子は信じられないような顔をして、薫を見た。
薫は居心地悪そうに小さく会釈して、そそくさと席に戻る。
「嘘……その、香水……」
小夜子の顔がみるみる歪み、瞳から涙が溢れ出す。櫻井が、畳みかけた。
「──小夜子さん、貴方はまだまだ若いし十分に素敵な女性だ。この先もっといい人に、必ず出会えます。……啓太さんからの伝言です。自分のことは忘れて、どうか幸せになって欲しい、心から感謝している、と」
「ううっ……うっ」
小夜子はとうとう、顔を覆って泣き出した。
彼女の嗚咽がおさまるのを待って、櫻井が内ポケットから1枚の紙切れを出した。
「──どうか、お納めください」
その紙片を小夜子の前に滑らせ、頭を下げる。
──小切手だ。結構な金額が書かれてある。
小夜子はちらりと目をやると、すっと手で押し戻し、キッと顔を上げた。
「結構です」
「……しかし」
「結構ですわ。そのようなものを受け取るほど、浅ましくはありません」
きっぱりと言い切った小夜子は、涙を拭い、顔を上げた。
「お話は分かりました。身を引かせていただきます。今後、啓太さんに関わりません」
櫻井が小切手を内ポケットにしまうと、小夜子が薫に顔を向けた。
「啓太さんを、どうか、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる小夜子に、薫も小さく頭を下げる。その横で、櫻井も頭を下げた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
櫻井の言葉に、小夜子がテーブルの上に置いていた名刺をバッグにしまい、立ち上がる。
もう、その顔は泣いていなかった。
「失礼します」
座ったままの薫と櫻井を上から見下ろすように告げると、凛として立ち去る。
頭を上げて姿勢良く歩く後ろ姿は、それでいて辛さを堪えているようにも見えて、薫は痛々しく思った。
最初のコメントを投稿しよう!