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「いい飲みっぷりじゃん! ほら、口直し」
男が、自身のジントニックのグラスを薫に差し出した。浮かんでいるライムの欠片をちょん、と指でつつく。
「さっぱりするよ」
「……あぁ」
英司はいつもジントニックを飲んでいた。薫は、気泡の揺れるグラスに手を伸ばした。
男の顔が、いやらしく歪む。糸のような目が、ちろりと動いた──その瞬間、太ももの内側にあった熱が、するりと引き抜かれた。
「──ちょっと、失礼」
「あ? 何すんだよ、おっさん」
驚いて消えた熱の行方を辿ると、カウンターの端にいたスーツ姿の男性がすぐ側に立ち、男の腕を掴み上げていた。
「放せよ!」
男は力任せに腕を引くが、しっかりと掴まれたままだ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「は? こいつとは話もついてんだよ、他当たんな」
「いや、彼じゃなくて。君の、そのポケットの中身についてなんだが」
「っ、……は?」
男は、糸のような目を少し開いた。
「何? 何のこと言ってんの」
「君、医学生だよね。薬学部の3年か、今年は留年して大変だ。お父様は確か、」
「待て。誰だよ、あんた」
男性が男の耳元に顔を寄せて何やら囁くと、男はぱっと立ち上がった。
「何だよ、ふざけんなよ!」
「私も面倒ごとは嫌いなんだよ、分かるだろう?」
男性は掴んでいた腕を放すと、ポケットからスマートフォンを取り出そうとした。
「っ、……」
男は顔をしかめて薫をじろりと見ると、そのまま黙って店を出て行った。
薫は、ぽかんと男を見送る。
「失礼」
男性は、男が座っていた席に腰を下ろすと、目の前のジントニックを脇に寄せた。
マスターがそのグラスを下げ、男性が飲んでいたであろうグラスに差し替える。
薫はその手元を、ぼんやりと見ていた。
「余計なことをした、って顔だね」
「……別に。さっきの奴、知ってるの?」
「いや。まぁ、知ってる奴の、知り合いってとこかな」
「ふーん」
「悪い連中とつるんで、変な薬作って遊んでるんだよ。違法薬物って訳でもないから、たちが悪い」
「……へえ」
カウンターの向こうで、 黙ってグラスを洗うマスターを見る。
薫は、その変な薬を盛られそうになったことよりも、先程のチャラけた奴が医学生だということにため息をついた。
「最近の医学生って、ろくなことしないんだね」
「ごく一部の学生はね、そういうことだ。君も気を付けた方がいい」
「どうでもいいよ」
薫は自分のグラスに口を付けようとして、空になっていることに気付く。
「水を差したお詫びに、一杯奢るよ」
そこで、初めて薫は隣に顔を向けた。
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