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トイレに行っている間に、吉見が会計を済ませていた。
「すみません」
店を出ながら真っ先に謝ると、吉見が困ったように笑った。
「そういう時は『ごちそうさま』って言えばいいんだよ。私が誘ったんだし、笠原は私の部下だし、笠原がお金を払う理由は一つもない」
吉見の一人称が「私」に切り替わっていた。ラーメン屋を出て、上司と部下に戻ったのだ。店での会話の方がおかしかったのだ。「これで安心」と思ったはずなのに、胸の奥がうずいてしまった。期待が潜んだ吉見の目が忘れられない。
――口づけしたらどんな顔を見せてくれるのだろうか。誘ってきたのはあっちだ。俺から手を出したって、文句は言えまい。
風が吹いた。夜とは思えないくらい湿気を含んでいた。隣に立つ男は涼しげな顔でそれを受け流している。
汗がじっとりと透のワイシャツを湿らせたのは、暑さのせいだけではない気がした。
「今日も熱帯夜ですね」
吉見に話しかけてみる。
「そうだね。笠原んち、クーラー壊れてるんだよね。大丈夫?」
きた、と思った。チャンスだ。酔っ払いだし、フラれたばかりで傷心中だし、金曜日だし。たくさん言い訳は用意できていた。「なんですか、泊めてくれるんですか」。喉元まで出かかったところで、吉見が言葉を続ける。
「ごめん、今、弱みにつけ込んでるね。私は悪い上司だ。暑さで頭がやられてしまったみたいだ。今日は楽しかった。ありがとう」
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