果たせなかった約束

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果たせなかった約束

 ちょっと休憩するつもりで寄ったのだが、思いもよらないことが起こっている。 「このカフェは一体」  思わずつぶやいた。 「うふふ。  思いつめた顔を、していらっしゃいますよ。  差しつかえなければ、お話を聞かせていただけませんか」  奥のキッチンから、皿が擦れる音、水を使う音がする。  外の通りは、人通りが少ない。  静かな午後だった。 「商売は、難しいものです」  ため息を吐き出していくのも、悪くないかもしれない。  愚痴をいっても、解決しないことは、わかっている。  だが、心が少し軽くなるなら、ここに置いていこう。 「私は、橋本 和夫(はしもと かずお)と申します。  グリフィス生命の保険を、扱っております」  名刺を差しだした。 「半年前に、こちらへ移りましてね。  妻と子どもたちに、今度こそ、大きな契約をとって、うまいもん食わしてやるって、大見得きったのですが。  約束を果たせませんでした」  結は、目を閉じて聞いていた。  ジャズの、優しいしらべが、あたりを包んだ。 「コーヒー、お代わりしましょう」  サーバーを持ってくると、静かに注いだ。 「うまくいってないって、顔に書いてありましたか」  結は答えなかった。  また、外の通りに目を移した。 「こうして、外をみていると、いろんな人の、人生がみえてくるのです。  だれもが、目的をもって生活しています。  私は、このお店に繁盛してほしくて、工夫していることがあります」 「ほう。  それは」 「お客さんの、心情に寄り添って、接客することです。  いつも上機嫌でいることも、その一つです」 「なるほど。  覚えておきましょう」  和夫は、若い結からも、学ぶことがあると感じた。 「橋本さん。  一つ約束してください」 「はい。  なんでしょう」 「これから、チャンスが訪れます。  契約がとれるかどうかは、機嫌よくできるかにかかっています」  結と話しているうちに、心が少しほぐれてきた。  だが、ビジネスはそう甘くない。  機嫌よくするだけで、うまくいくなら苦労しない。  カフェの店員とは違う。  俺は、運が悪い。  長年やっているが、ここぞというときに、失敗してきた。  心では思ったが、 「そうですか。  約束しましょう」  伏目がちに、つぶやいた。
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