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運を変える方法
カレーの皿を下げ、ケーキが運ばれた。
「どうぞ。
上機嫌でいること、お忘れなく」
結が念をおした。
今日は、あいさつ回りも終えたし、支社に戻って報告するだけだった。
いい報告はないが。
ぼんやりしていると、ドアベルが、カラン、と鳴った。
30代の男が入ってきた。
結が、席へ案内する。
男は、先ほどまで結が座っていたテーブル席に案内された。
「いらっしゃいませ」
コーヒーだけを注文すると、ノートパソコンを開いた。
集中した様子で、なにかを入力すると、一息つく、といった感じでパソコンをかたわらへ押しやった。
「お待たせいたしました」
運ばれたコーヒーを一口飲むと、外を眺めているようだ。
「チャンスがくるなんて、いってたな」
つぶやくと、隣の男が気になってくる。
この男が、保険に入ってくれるとでも、いうのだろうか。
あまりに、都合がいい考えである。
自分と同じような、パソコンとパンフレットが入る、大きめのカバンだった。
「あの。
失礼ですが、営業のお仕事ですか」
思い切って、話しかけてみた。
満面の笑みを作って、精一杯声のトーンをあげる。
「上機嫌。
上機嫌で、と」
心で自分に言い聞かせた。
でも、こんなことでうまくいくとは思えなかった。
「ええ。
そうですが」
怪訝な顔で、こちらを振りかえった。
「私、こういう者です」
名刺を取り出すと、男も、懐から名刺入れを取りだす。
ビジネスマンの、習性である。
お互いに交換した名刺を眺めた。
「電子機器メーカーの方だったのですね」
「グリフィス生命ですか。
得意先回りをしていまして、ちょっと時間調整で、立ち寄りました」
「そうですか。
生命保険、医療保険の方は、なにかお入りですか」
男は、途端に表情を硬くした。
「いや。
保険は、まにあってますから」
気まずい空気が流れた。
「では。
お先に失礼します」
さっさと店を出ていってしまった。
コーヒーを口に流し込み、ため息をついた。
「ふう。
やっぱりな。
俺には、貧乏神が憑りつてるのさ」
さもありなん、という顔で、さっきの店員をみた。
「橋本さん。
ビッグチャンスを、逃しましたね」
近づいてくるなり、結は責めるようにいった。
「えっ。
今のが、まずかったのですか」
「男性は、最近結婚して、保険のことを考えていたのです。
指輪をご覧になりましたか」
結の話が気になっていて、正直、ほとんど観察しなかった。
今から思うと、溌溂として、人生に希望を抱いているようだった気がする。
「もし、橋本さんが、機嫌よくご自分の趣味の話などをなさったら、うまくいったはずなのですよ」
さも残念そうに、いうのだった。
「お客さんに、笑顔で寄り添うことを、忘れないでください」
あまりの勢いに、和夫も反省するべきだと思い始めた。
「では、今みたいなチャンスがあったら、そうしますよ」
結は、首を横に振った。
「いいえ。
チャンスは一度きりなんです。
同じチャンスは、もうありません」
にべもなくいう。
「そんな。
じゃあ、取りかえすことはできないと」
「約束に従わなかったからですよ。
機嫌よく、とは作り笑顔で、商談することではありません」
ここまで言われて、我に返った。
結の意図がわかった。
「そうか。
俺は、機嫌よく、といわれて笑えばいいと、思っていた。
それじゃあ、甘かったね」
「そうです。
うちのケーキみたいに、激甘ですよ」
「はあ。
やっぱり、俺はダメだなぁ」
和夫は、荷物をまとめて、立ちあがろうとした。
「でも。
違うチャンスが待っています。
今度は、しくじらないでくださいよ」
結は、念をおすように、いうのだった。
話しているうちに、だんだんと理解してきた。
機嫌よくすれば、次のチャンスがやってくるのだろう。
沈んだ気分が、少し明るくなった。
「そうです。
心から希望を抱かないと、チャンスは逃げてしまいますよ」
「ありがとう。
なにがあるのか、わからないが、また報告にくるよ」
会計を済ませ、裏通りにでた。
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