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身持ちが固い梨乃と、妻帯者とは、絶対に付き合わないと言う渚の
二人の噂は、商店街中に知れ渡っていて「北沢なら良いよ」と
店主や従業員の妻たちも、飲みに行く事を容認していた。
だから、三軒のスナックの内、北沢が、一番繁盛していた。
門倉も、今まで何度も、梨乃に誘いを掛けていたが
梨乃は、ずっと断り続けていた。
あんまり断り続けるのも悪いかな~美幸は、門倉は、一番信用できると
常日頃、言っているし、何もしないと約束してくれた。
今回だけなら、そう思って「じゃ、一緒に行きます」と、承知した。
「ほんと?有難う、嬉しいな~今度も断られると、覚悟していたんだけど」
門倉はそう言って、子供みたいな、笑顔になり
「上演時間は、10時半だからね、それまでに、うちに来てね」と言うと
「おやすみ~」と、浮き浮きした足取りで、帰って行った。
梨乃は、店と裏口に鍵をかけ、二階へ上がる。
渚は、もう風呂に入る所で、裸になっていた。
「先に入るね、私、今から出掛けるから」渚は、休みの前夜は、必ず出掛ける
「良いよ、今夜は誰と一緒なの?この前の学生さん?」
「あの学生さんとは、あの時だけだよ、今夜は、紺野の大旦那さんだよ」
渚は、それだけ言うと、浴室に消えた。
商店街の中の、紺野呉服店の大旦那さんは、5年前に奥さんを亡くし
仕事は、長男に譲って、呑気な隠居生活に入っていた。
確か、70歳が近いと聞いていたが、孫ほどの年齢の渚と?
梨乃には、信じられ無い事だった。
風呂から上がった渚は、店に居る時とは違う、薄化粧で出掛けて行った。
梨乃は、ゆっくり風呂に入り、パジャマを着て、布団の上に座り
ぼーっと考え事をする。
遠い九州にいる父は、今頃どうしているかな~
忙しい仕事が終わって、もう寝てるかなと、父の顔を思い浮かべる。
梨乃の母、沙穂は、梨乃が5歳の時に、病気で死んだ。
それからは、父が男手一つで、梨乃を育ててくれた。
父の正彦は、県会議員である宮地泰三の運転手をしていた。
正彦は、生まれつき、足が不自由で、片足を軽く引きずって歩く。
その事で、小さい時から虐められていた所為か、酷い吃音だった。
その正彦を巡って、両親は喧嘩をした末、離婚し、正彦は父に引き取られた。
その父は、出稼ぎに行った為、正彦を育てたのは、祖父だった。
年取った祖父は、正彦の着る物や、学校の行事などには、頓着せず
他の子と、大きく違う正彦は、学校でずっと虐められていた。
正彦の吃音は、どんどん酷くなって行き、更に虐められる事になった。
だが、祖父や、時折帰って来る父には、何も言えなかった。
正彦が、中学生になった時、祖父は他界し、父は出稼ぎを止め
宮地建設で、働き始めたが、仕事場で事故に遭い、死んでしまった。
正彦が、高校三年生の時だった、事故の責任を感じた宮地は
就職が難しかった正彦を、自分の運転手として雇ってくれた。
正彦は、そんな宮地の為に、誠心誠意、働き続け
今では、宮地の懐刀と、言われるまでになっていた。
宮地の世話で、諦めていた結婚も、45歳の時に出来、直ぐに娘も生まれたが
その幸せも、6年で終わった。
「俺は、家族との縁が薄いんだろうな~」
酒に酔うと、ぽつりとつぶやく、父が哀れだった。
その父も、今年で、もう67歳になる、父を一人、故郷に置いて
東京へ出て来た梨乃、ホステスをしている事は、言っていない。
ホステスをしている等と言えば、きっと、父は心配する、そう思って、、、。
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