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 ひらり、と1枚の紙が床に舞い落ちた。    カバンからノートや教科書を出していた(あおい)が、それを拾ってローテーブルの上に置いた。 『納涼花火大会』  と書かれたチラシ。俺も今日学校でもらった。  俺たちはいつも、放課後は水瀬(みなせ)家に集まる。小学5年で学童がなくなった時から、なんとなくそんな風になった。  俺と同い年の陽菜(ひな)と1コ下の弟の碧の家、水瀬家は小学校から近い一軒家で、皆で集まりやすい家だった。  だからもう、皆中学に上がって1人で留守番なんて何の問題もない年なのに、自宅には帰らずここに来ている。    今日ももう6人集まっている。今は全員集まれば12人だ。  リビングのローテーブルを2つ並べて、この家のルール「まずは宿題」に従って教科書やノートを出していた。 「花火!今年は金曜日ね。何時に出発する?」  陽菜が俺の正面に座りながら言った。  それから俺の隣に座っている碧の方を見て、 「碧はどうする?行ける?花火大会」  と訊いた。  教科書を開いていた碧の手がぴくりと震えた。  碧は去年の花火大会で、変質者に連れ去られそうになった。  去年、俺は中1で碧は小6だった。  一昨年までは誰かしらの親が来ていたけれど、去年はどうしても都合がつかなかった。そもそも俺たちのグループは学童の延長だからどこの家も共働きで忙しい。  なので、俺の学年7人は中学生になったし、花火大会は近場だし、毎年行って慣れてるからということで、子どもだけで行くことにした。    だから、気を付けているつもりだった。  大型の花火が連続で上がって、光と爆音に包まれて目を奪われた数十秒の間。ふと気付くと隣にいたはずの碧がいなくなっていた。 「碧どこ行った?」 「え?いない?」  場所を移動したのかと周りを見回してもいない。 「トイレじゃない?」と誰かが言った。 「俺ちょっと見てくるっ」  嫌な予感がぞわりと背筋を這い上がってきていた。  トイレはそれほど遠くない。俺たちのグループは半分が女子だから、いつもトイレの場所は気にしている。  ただ、トイレまでのルートが暗いなとは思っていた。  でも女子はたいてい誰かを誘うから大丈夫か、とも思った。  碧に、1人で行くなって言っておけばよかった。  あいつは一見女の子に見えるくらい可愛いんだ。  ていうか、今のグループでは碧が一番可愛い。  周りを見回しながらトイレへのルートを辿った。明かりが少なくてやっぱり暗い。  ザザッと不自然な音がした気がしてそちらを振り返った時、大きな花火が上がって辺りが照らされた。  その光で見えた光景。  心臓が、止まるかと思った。  碧が、知らない男に腕を掴まれていた。  人はたくさんいるのに、皆花火に気を取られて気付かない。  奥歯を噛んで全力で走った。何人かの人にぶつかった気がする。よく覚えていない。怒鳴られたような気もする。でもそんなの知ったことじゃない。  また花火が上がって、青ざめた碧の顔が見えた。俺は後ろから碧を抱きしめた。  連れて行かれてたまるかっ!  あの男に、自分が何を言ったのかも記憶にない。  腕の中の碧の細い身体が震えていて、俺も暑いはずなのに背中を冷や汗が流れていた。 「1人になるな」と言って碧を叱った。でもその記憶も曖昧だ。  何か、余計なことを言った気がする。  そんなことが、去年あった。  碧はじっとチラシを見ている。 「行こうよ、碧。お前、花火好きだろう?」  その、連れ去られかけた後でも、碧は花火を見上げていた。  俺はもう花火どころじゃなくて、花火を見ている碧を見ていた。  碧の手を握って。 「俺がずっと一緒にいてやるからさ」  俺がそう言うと、 「つーか、もうそれがフツーだけどな」  と依人(よりと)が笑いながら言った。  去年の花火大会の後、皆で出かける時俺はいつも碧を気にしている。  逸れないように手を繋いだり、肩を組んだりすることもある。  碧がそれを嫌がったことはない。  皆も花火大会で何があったか知っているから、それについては何も言わない。 「…じゃあ、行く」  碧はそう言って、ちらりと俺を見た。  うわ  やばい。油断してた。  碧がめちゃくちゃ可愛かった。  胸がとくとくと鳴り始める。 「ねえ、耀(よう)くん」  碧が俺の方に教科書を寄せてきて指を差す。 「これ、解んない」 「ん?ああ、これはね…」  説明を聞くために、碧が少し俺の方に顔を寄せた。  左手をぐっと握って平常心を装う。  瞬きをする長いまつ毛がものすごく可愛い。  俺は、踏み込んではいけない領域に入りそうになっている。
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