夏の夜、祭り男子に恋をした。

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 母方のおばあちゃんが家の近所でやっていたイベントでねぶたを見て、当時小学校1年生だった私に人生で一度はねぶたを見なさいと遺言を残して亡くなった。それから15年が経ち私は初めて青森県に上陸した。 「やっとついた~!!」  私は大きく背伸びをして身体を伸ばした。  今日は朝の5時に起きて、6時に家を出た。飛行機が7時50分に出発する予定が前の席に座っていたマダムが忘れ物をしたと飛行機を降り、戻ってくるまで30分の遅れでの出発。スマホを機内モードに設定していたため、時間潰しに飛行機の機内雑誌を読んでいた。  しばらくすると、CAさんが飲み物をワゴンに乗せて配りに来る。私は迷うことなく、りんごジュースを選んだ。そして、仮眠。夏は外に出るだけで体力を奪われる。  青森空港につき、預けていた荷物を受け取った時には10時を過ぎていた。  普段、暮らしている大阪の気温は32度。飛行機内でアナウンスされていた青森の気温は24度。飛行機から降りた直後、キツく一括りにしていた髪を解いた。ふわり、と青森の涼しい風が髪の毛の間を通り抜けていく。それだけで、何かに縛られていた感覚がなくなり気持ちがよかった。  最近の夏は猛暑すぎる。夜になっても蒸し暑くエアコンをつけなければ寝ることもできない。寝苦しい毎日。ただでさえ、日中は暑苦しいマスクをつけて過ごしている。去年まで布マスクでも許されていたのに感染が拡大したせいで職場では不織布(ふしょくふ)マスクをつけろと言われる。マスクをつけることができないからと気軽にプールや海にも行けない。そんな日々に嫌気が差して飛行機で飛んだ。  空港を出てレンタカーを借りに行こうと移動する。外は大阪と同じような日差しだったが、熱風ではない涼しい風でさほど暑くは感じなかった。だけど、日焼けをしたくないので日傘をさす。  レンタカー屋さんに向かう途中で交通整理をしているガードマンを見かけた。木陰に入り水分補給をしようとマスクを外そうとしている。特に観察するわけでもなく気兼ねなく見ていたのだが、ガードマンのおじさんがマスクを外した瞬間、私は二度見をした。  おじさんの口周りは綺麗に四角く白くなっていた。口周り以外は日焼けした肌、だけど口元はマスクをしていた跡がクッキリと残っている。おじさんは酷暑のなかまじめにマスクをして仕事をしていた証拠だ。  コロナ禍でガードマンの仕事をする新人が増えた。いくら会社が指導しているとはいえ、トラブルでクレームの電話が入ったり、慣れない暑さで熱中症で亡くなったりするのを耳にする。制限がない夏とはいえ、どこか世間の空気間では旅行は推奨されていない。それでも、理不尽な現実から逃げたかった。  レンタカーを借りて車を走らせる。都会と違い舗装されていても車道はガタガタだった。先日の大雨で通行止めになっている箇所もあり、迂回しつつ紫陽花(あじさい)ロードを通り抜け、青函トンネルや石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』の歌詞に出てくる龍飛崎(たっぴざき)へ行った。  17時になり、会場がある青森市についた。ねぶたが置いてあるテント小屋には電球がなくとも色が塗られた厚手の障子紙が艶やかさを覗かせている。祭りが始まるまで表は見えても裏面が見えない。  一通りのねぶたを見終わり、祭りが始まる19時までの間、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(はっこうだまる)の見学をした。港付近はカラスの代わりにカモメが低空飛行で飛んでいた。 「オレンジの夕日だ……」  私が幼稚園の時、ガンで入院していたおばあちゃんのお見舞いに病院へ行った記憶が蘇る。 「もうすぐランドセル背負えるね。楽しみだね」  おばあちゃんがベッドに寝転がりながら私に話しかけました。 「そうだよ! ランドセル楽しみ!!」   はっきり言ってランドセルに興味はありませんでした。適当におばあちゃんに話を合わせていました。そんな会話を繰り返していた時、ふとおばあちゃんは何かを伝えるようにして、私の目をジッと見つめてきました。 「まつりちゃん。大きくなったらね、ねぶた祭りを見に行きなさい。おばあちゃんね、一度イベントで大きなねぶたを見たの。とっても大きくてすごかったのよ」  夕暮れの日差しが細くなったおばあちゃんの足を照らしている。オレンジ色に染まった病室の記憶は私の幼い記憶に残っている。ねぶた祭りを見てしまえば、心残りはなくなり大事な記憶ほど忘れてしまうのだろうか。そんな恐怖にも駆られた。    晩夏の夕暮れ。  ある人によると、日本は祭りの国らしい。ねぶた祭りの衣装を着た祭り人が駅前の商店街を歩いている。花笠に浴衣の格好をした人が増えてきた。花笠に浴衣の格好をしている人たちは祭り本番で太鼓や笛の音に合わせて踊る、跳人(はねと)だ。  3年前には見ることができなかった光景。日が少しずつ沈んでいくと同時にもうすぐ祭りが始まる期待が高まっていった。 「やっば……迷子になった……」  どこへ行っても人がいっぱいで自分がいる場所もわからない。だけど、指定席チケットは市役所の前なので行かないと座って間近で見ることができない。   「でってらっきゃ~?」  私の前で首を傾げる少年。青森弁だろうか、なにを言っているのかさっぱりわからない。だけど、その仕草で私を助けてくれようとしているのはわかった。 「あ、えっと……市役所の前に行きたくて……って伝わるのかな」  自分の言葉に1つも自信がない。いつもなら声を張れるのに、人混みで掻き消されそうな声だった。 「あ、えっと……ここに行きたいの!」  持っていた祭り会場の地図を少年に見せる。 「それだば、わがねじゃ」 「ちょーちょー、ままくたんずな?」  少年は屋台を指さす。きっと、ご飯は食べたのか? と聞きたいのだろう。私は首を振ってまだだよ、と言った。  屋台を見れば、焼きそばにたこ焼き串焼きとフランクフルトが並んでいる。400円と割と良心的な値段だった。  きっと、少年の家族なんだろう。どこか面影があるような気がする。私はとくにご飯を食べても買ってもいなかったので焼きそばとたこ焼きを買った。  少年に手を引っ張られるようにして市役所前まで案内してくれた。 「案内してくれてありがとう。本当に助かったよ」 「めぐせはんでやめでげじゃ」  少年は恥ずかしそうに目を伏せる。耳まで赤くなっていた。少年は手を小さく振り、また人混みへ駆け出した。  19時になり、祭りが始まる数十分前。空砲が鳴った。途端、上空に30羽はいるだろうカラスが飛びだっていく。市役所の屋上や公園の木々のなかにカラスがいた。3年ぶりの開催でねぶたの存在を覚えているのだろうか。それともカラスは賢いといえども忘れてしまったのだろうか。  ふと、飛行機にあった機内雑誌で読んだ言葉を思い出した。ねぶた祭りのコラムを書いた人は青森出身でねぶた祭りに参加したことがある人だった。 『お祭りは人々の絆を支えてきた長い歴史がある。お祭りは土地の人々によってとても大切なものですが、訪れる人にとってはそれを体感できる絶好の機会です。ぜひ、その目と肌で祭りに参加してください』  数年ぶりに聞く、太鼓と笛の音が徐々に近づいてくる。  その人の言う通り、写真や映像で見る平面と実際に目で見る立体は違った。歴史がある祭りとあり、圧巻される圧力がヒシヒシと伝わってくる。   「あ」  跳人の衣装を着た少年が大人と同じ様に「らっせらー!」とかけ声を出しながら踊っている。  気づけば、涙を流していた。  人の思いに情熱に触れたのは何年ぶりだろうか。そう感じるほど、コロナで完全に塞がっていた感情に熱い想いが流れ込んでくる。少年は乱舞を披露しつつ、誰かを探しているようだった。  もしかしたら、自分かな、と手を振ってみる。  少年と目があった。少年は笑顔で手を振り、跳ねる。小さな身体でも力強い踊りに見えた。きっと、あの子は私と同い年になってもおじいさんになっても祭りに参加する祭り男子だ。これからも、私のような荒んだ心を元気にしてくれる存在になるんだろう。  シャーン、シャーン、と金属の杖と鐘を鳴らす音が聞こえてくる。巨大なねぶたを見て、その存在に驚き、どよめく声が聞こえてくる。スマホで写真を撮ることも忘れて目の前の景色を目に焼き付けた。  夏の夜、祭り男子に恋をした。
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