真夜中三時の青椒肉絲

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 まるで水の中を泳ぐように、俺らは必死に息をしていた。  うちの中学校には水泳部のエースがいる。  周りからも尊敬され、新記録を次々に樹立する彼女は、だけどいつも何かを言いたそうに口を噤んでいた。  その姿を見かける度に俺は心の中で悪態を吐くのだ。  何者にもなれなくて、出来ることは拳をふるうことだけだった俺は、持っているくせに何一つ持っていないような顔をする奴らが大嫌いだったから。  だから、当てつけのように水泳部に入ってやった。エースというやつの本当のところを知りたくなった、たったそれだけの理由で。  本当のところというやつは残酷で傲慢で稚拙なものだから、つまるところ俺は非凡な彼女に善人でない何かを求めていたってわけだ。  品性を改めるわけではなかったが、水泳部に入ったことで少しは教師からも見直されるかという打算もあった。もちろん、そんなのは何の解決にもならなかったのだが。  水泳に真面目に取り組む俺に、彼らは言う。 『そんな事をしても意味が無い』 『今まで起こしてきた不祥事がなかったことになるわけじゃないぞ』 『優等生にはなれない』  しかしながら、幸か不幸か。俺には泳ぎの才能があったらしい。  ほざく教師たちを後目にエースに引けを取らないくらいの泳ぎっぷりを見せ始めたのだ。  すると今度は何を言われたと思う? 『お前に才能はない。無駄な努力はやめろ』 『水泳部はやめて真面目に勉強しろ』  ……だとよ。  くさくさして、それでも俺の居場所はプール際だけだった。  夏の入道雲が空に漂い、蒸し暑さと蝉の声が不快さを増加させる。  部活のない日も自主練をしていた。あると思っていた才能を一刀両断された俺には、もはや意地と努力しか残っていなかった。  水から這い上がると、いつからそこに居たのか、エースの女が俺を見ていた。 「……いいよな、お前。みんなに才能があるって信じてもらえてるんだから」  呟いた嫌味は思いのほか世界に響いたらしく、しっかりとエースの耳にも届いていたらしい。  やばい! と焦った俺は彼女の表情を確認するも、当の本人はぱちぱちと瞼を動かしてきょとんとした顔をしているだけであった。  それから徐に口を開いてこんなことを言い始めたのだ。 「才能がないっていうのは、ただ『才能がない』って言葉を押し付けられているだけのような気がするよね。本当は大人たちが無知なだけなのに。知らないことは出来ないことと同義らしいよ?」 「は?」 「つまり、あんたに才能があるかどうかなんて誰も知らないし、知らなくていいし、なんなら『才能』そのものの存在意義って何? って話」 「……?」  意味の分からないことを言う女だと思った。そしてこのとき、何故か俺は恋に落ちた。  たぶん馬鹿だったから、小賢しい話をする女に惹かれたのかもしれない。  彼女の長い黒髪が夏風を受けて靡いている。  制服の裾が膨らんで、そこから覗くのは健康的に程よく焼けた脚だった。
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