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いちおう注意してみたが、パラディは軽々とコケゾーンを飛び越えてきたので、自分は本当に必要だったのかと思ってしまう。
エパヌイ神父がいた頃は、一人で何日もかけて登っていたのに、険しい段差も軽々と飛び越えていってしまうので、逆に俺が足手まといになって時間がかかっていた。
今日は二人とも登山用の軽装で、村から少し歩いたところの山に登っていた。
教会では神木と呼ばれる樹齢千年以上の大木から枝を集めて、儀式などの際に火を灯し、それを聖火と呼んでいる。
調達するのは世話人の役目なので、前回は多めに集めてきたのに、このところ婚礼の儀式が立て続いたのでストックが無くなってしまった。
パラディにしばらく留守にすることを伝えたら、一緒に行きたいと言われてしまった。
しばらく祭事の予定はないし、週礼拝までに戻ればいいので留守にしても問題はないのだが、神木集めになんて興味を示したので驚いた。
二人いればたくさん取りに行けるので、助かることには違いないが、首を傾げてしまった。
普通の神父はこんな雑務に関心を向けることなどない。俺が来る前は他の村人がやっていたし、ここに長くいたエパヌイ神父は山には近づいたこともないと言っていた。
神木は発光しているので、誰が見てもすぐに分かるが、何しろ高い山にしかない。
取りに行くことが修行みたいなもので、ただ孤独で疲れる苦しい時間だ。
「はぁはぁ……」
パラディのペースが早いので、付いて行くだけで息切れしてしまう。顔から流れ出た汗が頬をつたってポタポタと地面に落ちて行く。
俺は汗を拭いながら、地面に腰を下ろした。
正直言って普通の人間のスピードではない。
軽くどうぞなんて言って付いてきてもらったが、アスリート並みの速さで登るなんて、聞いていなかった。
先を行っていたパラディがいつの間にか俺の隣まで戻ってきていて、すぐ横にドカンと腰を下ろした。
横でくすんだ青色の髪がふわりと揺れたのが見えて、ドキッとしてしまった。
「すいません、ちょっともう足が動かなくて」
息を吐きながら項垂れていたら、目の前にサッと水筒が出てきた。
「休憩しよう」
「はい……ありがとうございます」
山頂はまだ先で、かなり高いところまで登ってきたはずなのに、空はもっと高いところにあって、見上げると大きな鳥が悠々と雲の間を抜けるように飛んでいた。
不思議な時間が流れていた。
ろくな会話もなく、いつもなら気まずさを感じるはずなのに、開放的で澄んだ山の空気の中では何も感じなかった。
むしろそれが心地よくて、静寂の中聞こえてくる自然の音、そして一人ではなく、誰かと一緒にいるという感覚が嬉しかった。
ふと気になってパラディの方を見ると、彼も俺と同じく静かに空を見上げていた。
パラディは恐ろしさを感じるほど整った容貌だ。
いちおうゲームの登場人物とはひと通り会ってきた。
皇子に、兄の公爵、宰相の息子、隣国の王子。
全員目を引く容姿をしていたが、これほどまでに強烈に印象に残る男はいなかった。
彼は本当にただのモブキャラなのだろうか。
この世界の元になったゲームをテストプレイヤーとしてやり込んだ俺は、攻略キャラ以外にも主人公周辺の登場人物は頭に入っている。
信心深いこの国では、主人公が神殿で祈りを捧げるシーンもあるが、神殿の関係者など名前すら出てこなかった。
「なんだ? 穴が開くほど見てきて」
「あ……ええと、パラディ神父は、どうしてこの村の教会に来られたのかな……と」
「おかしなことを聞くな。命ぜられたから従ったまでだ」
「ま……まあ、そうですよね」
帝都の神学校を出た者は、まず帝都の神殿で修行を積むとエパヌイ神父から聞いていた。
エパヌイ神父もかつては帝都の教皇庁に勤めていたが、内部争いに敗れて各地を転々と回されるようになり、最後に行き着いたのがこの村の教会だった。
二十歳の若者がいきなりど田舎に赴任されるなんて、正直考えられなかった。
「……お前は、帝都で男に騙されたと聞いたが」
「マレーヌさんですね……。私は元貴族で、身分の高い婚約者がいたのです。ただ、元からあまりいい関係ではなくて、魅力的な人が出てきたら、彼の心はその人に……。私はすぐに認められなくて、立場を利用してその人にひどい嫌がらせをしました。その罪を償う方法として、平民になって、この地に根を下ろすことを選んだんです」
「似合わないな」
「え? 嫉妬とか、嫌がらせとかですか? 今はあれですけどその当時は俺だって……」
「いや、お前には明るい笑顔の方が良く似合う」
「え……?」
突然予想外の答えが飛んできて、俺はポカンとして固まってしまった。
パラディは冗談でも言っているのかと思ったが、真剣な顔をしていたのでまた驚いた。
「お前には、幸せが似合う」
「し……幸せ? あ……あの、それって……。はははっ、幸せですか? なんでしょう、俺には幸せがなんなのかよく分かりません……」
「……初めて、お前に会った時、輝いて見えた。心が満たされて……温かく感じた」
「それが……幸せ、ですか?」
パラディは真剣な目をしたまま、こくんと頷いた。
さすが悩み相談でも斬新だと言われるだけある。俺にはよく分からなかったが、一生懸命な気持ちだけは伝わってきた。
その後はまた、二人して無言になってしまったが、心は静かな海のように穏やかで、心地よい静寂だった。
「こっちです! ほら、あの光、見えるでしょう?」
山頂に着いた俺は、神木目指して走った。
神木の光には癒し効果があって、ここまで登ってきた疲れが引いて行くのが分かる。
パラディの方を見ながら、ハシャいでいたら、木の根に躓いてぐらりと体が傾いた。
ここまで来て転ぶなんてと衝撃に備えたが、痛みは襲って来なかった。
「大丈夫か? 後ろ向きで走るな」
「え……は…ぃ…」
転ぶと思っていたのに、音もなく直ぐそばまで来ていたパラディに腕を掴まれた。
そのまま広くて硬い胸の中に押しつけられて、まるで抱きしめられているような格好に言葉を失ってしまった。
心臓の音だけがどくどくとうるさく鳴っていて、口から飛び出てしまいそうだった。
「ほう……あれが神木か。癒しの光を放つと聞いていたが……、確かにそうだな」
真っ赤になって慌てている俺とは違い、パラディの目は神木に注がれていた。
力強い腕はそのまま俺を抱えるようにして、パラディは歩き出してしまった。
「あ……あの、下ろして……」
「じっとしてろ。また転ばれたら困る」
男に抱えられるなんて冗談じゃないと思っていたけれど、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ、逞しい腕に包まれる感覚は安心感があって、ずっとこうしていたいと思うほど気持ち良かった。
「なるほど、神木になると、木は白くなるのか……。あれは乾燥したからではなかったんだな」
「そうです。神の息吹が宿るのだそうですよ。神木は光り輝き、迷える者を照らす。よくエパヌイ神父が教えてくれました」
「お前は……迷う時はあるか?」
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