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神隠しの子と炭焼きの子
神隠しと言われても、コナラはツタと遊んだ場所へ足げく通いました。今にも嬉しそうなツタが姿を現わしそうな気がしたからです。
待つ間の手慰みにツタの喜びそうな動物を木の欠片で彫り、それが風呂敷いっぱいになってもまだツタは帰ってきませんでした。
コナラも成長し、父親から仕事を教わり始めると忙しくなりましたが、暇をみつけてはツタと遊んだ場所で待ち続けました。
そうして十年の月日が過ぎました。コナラは二十一になり、去年死んだ父親の仕事を受け継いで炭を焼いて暮らしています。昼はツタとの遊び場で食べ、湧き水を飲んで木を彫るのがコナラの習慣になりました。
父親からは諦めろと言われましたが、どうにもツタがいなくなったように思えません。どうかしたら近くに居るような気がするたび、周りを見渡してため息をつくのでした。
手伝い仕事が長引いて帰りが遅くなった晩のことです。山についた頃にはすっかり暗く、空には満月が明るく光っていました。
そういえば、ツタがいなくなった夜は満月だったと思い出します。
あの小さい子が、一人で夜の山に分け入ってしまうような気持ちになったのだと考えると、コナラの胸は酷く痛みました。子供だった自分にも何かできたんじゃないかと後悔ばかり。家族から冷たい仕打ちを受けていると知っていたのに。
そんなことを思いながら歩いたせいか、気づくとツタとの遊び場にいました。松明に照らされていると昼間とはまるで違う場所みたいに見えます。
ツタは今、どこにいるのだろう。怖くないか、寂しくないか、心配でたまりません。
ふと、何かの気配を感じました。もしかして。
「……ツタ?」
ぶわんっ と風が舞い上がり、高く細い声がコナラの耳を鋭く射ました。
「こわい、たすけてコナラ! たすけて!」
声のしたほう、風が吹いてきたほうへ駆け寄ると、松明の灯りの中に、消えてしまったあの日のままの小さなツタの泣き顔が見えました。
「ツタっ!」
「コナラっ!」
小さなツタが走って飛びついてきたと思ったのに、なぜかコナラと同じくらいに大きい女の子が抱き付いています。松明で見た顔は小さいときのままだったので、コナラは酷く混乱しました。
「ツタか?」
「……っうん。っひ、うぅっ、コナラ……、っぅう」
くっついてグスグス泣くツタの頭を、コナラは撫でてやりました。手の平に伝わる温かさが胸にじんわりしみてきます。
そうだ、大きさは関係ない、ツタが戻ってきたことが大事なのだから。
こみ上げた涙に、コナラも鼻を啜りました。
藁草履をなくしたツタに自分の草履を履かせ、コナラはツタを家に連れて帰りました。
囲炉裏の灯りで改めて見たツタは、すっかり年頃の娘になっていました。それなのに七つのときの格好のままですから、とてもちぐはぐです。コナラは死んだ母親の着物を引っ張り出してツタに着せ、一緒に夕餉を食べました。
「ツタは今までどこにいたんだ?」
「牛小屋から山まではしってきたの。くらくてころんじゃって、こわいからコナラをよんだら、コナラがいたんだよ」
「それは十年前だろ?」
「ちがう。さっきにげてきたんだもん」
コナラは首をかしげました。見た目は娘なのに話しかたが子供のときのままです。仕草もなにもかも子供のように見えました。
ツタの言う通り、神隠しに遭って十年飛び越えてきたのだろうか。
「……コナラはなんで大きくなってるの?」
「ツタだって大きいぞ」
「……うん」
ツタもおかしいと思っているらしく、怯えています。コナラもどうしてなのかさっぱりわからないけれど、安心させようと優しく話しました。
「ツタの『さっき』から十年経ってるんだ。ツタは神隠しにあったって村人から聞いた」
「神かくし……? 家に帰れないの?」
唇をかんでうつむくツタの目から涙こぼれました。
「俺が一緒に行ってわけを話すから。大丈夫、家に帰れるよ」
「…………でも、いらない子だから」
ポツリと呟いたツタの言葉にコナラは何も返せません。神隠しの騒ぎがあってから、ツタの家の噂話をよく聞いたからです。継子いじめをしていたとか、一人だけ飯を食わせてなかったとか。
可哀想なツタにずっと何かしてやりたいと思っていたコナラは、悲しみを振り払うように精一杯明るく言いました。
「じゃあ、うちにくるか? 俺は一人だからツタがうちの子になるといい」
「……ほんとう? コナラのうちの子になってもいいの?」
「本当。ああ、ほら、ツタにあげようと思ってたんだ」
コナラはそう言って小さな木彫りの動物をツタの手にのせました。瞬きを繰り返して少しずつほころぶツタの笑顔は小さい頃のままで、やっと何かできた気がしたコナラも嬉しくて笑いました。
次の日、2人はツタの家に出向きました。
農作業をしていたツタの父母は驚き、近くにいた村人たちも寄ってきます。最初は良かったと言っていたのに、ツタの語る話、見た目と違う幼い話しぶりにおかしなものを感じたせいかじょじょに静かになりました。最初から苦々しい顔をしていた母親が、皆の気持ちを代弁するように言います。
「気味が悪い、本当にツタなのかい? 十年も経って戻るなんておかしいだろう。何か変なものに憑りつかれてるんじゃないの?」
あまりのことにツタは何も言えず立ち尽くしました。村人たちは何も言わずツタを見ています。
内心、はらわたが煮えくり返っていたコナラは、強い口調で言い返しました。
「ちゃんと飯も食うし、眠りもする。神隠しなんだから俺たちにわからないこともあるだろう」
「だからって……ねぇ。神様のもんになったんなら」
「今日はツタを嫁にもらう挨拶に来たんだ。山の神さんが返してくれたんだから、山の俺がもらっていいだろう?」
「……ふん、そうだね。山のモンは山にいりゃあええ。なぁ、あんた」
「あ、ああ、そうだな。ツタ、良かったな」
「……うん」
鼻で笑う母親と、肩の荷が降りたとホッした父親にコナラはますます腹を立て、その場でツタをもらい受けると、ツタの手を取り振り向かずに家へ戻りました。父母のあまりの言い草にしばらく落ち込んでいたツタは、コナラに慰められ段々と明るい笑顔を取り戻しました。ツタとコナラは小さな家で、二人仲良く過ごします。
炭を売りに行った別の村で縁日の話を聞いたコナラは、ツタを連れて出かけました。縁日が初めてだとはしゃぐツタを、コナラは微笑ましく見守ります。
出店を一つ一つ面白そうにのぞき歩いていたツタが、足を止めました。『水中花』と書かれた木札が下がる店の前でしゃがみ込みます。ツタが熱心に覗き込んでいる瀬戸物の鉢をコナラも覗いてみますと、鉢に張った水の中で木でできた花がゆらゆらと揺れていました。
「奇麗だな。気に入ったか?」
「うん、きれい」
楽しそうに笑っているツタをもっと見たくなったコナラは、迷うことなく一つ買いました。
「いいの?」
「いいよ。ツタの欲しいもの買うために貯めておいたから」
「えへへ、ありがとう」
家に帰ったツタは水中花を大事にしまい込みました。
セミの声も静まった夏の夜、ツタが木桶を外に出してコナラを呼びました。二人並んで覗き込んだ木桶の水には明るい満月が映っています。こんな満月の夜だったなとコナラは思い出しました。
ツタは水中花を取り出して、そっと桶に沈めます。水に映る白い月の中で咲く花は不思議で美しく、二人はしばらく見惚れていました。
「コナラ」
「うん?」
「ありがとう」
小さな小さな声がコナラの耳に届きました。月明かりの影に隠れて涙をこぼすツタの頭を、コナラは優しく撫でます。
「俺はツタをずっと待ってたんだ。ツタが帰ってきたら何して遊ぼうか考えて。だから、お帰りツタ」
「……待っててくれたの?」
「ああ。俺の遊び相手はツタしかいないから」
「……そっか。えへへ」
「これ、俺も作ってみるかな」
「えっ、コナラも作れるの?」
「ツタが気に入ったんなら作るさ」
コナラを見上げたツタは、まだ涙のにじむ目を輝かせてとても嬉しそうに笑いました。コナラはそれを見て眩し気に目を細め、水の中で咲き続けるこの花のように、ずっとツタを笑わせていようと心に誓ったのです。
終
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