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天候不良を理由に、出発は1日延びた。
「史上最大規模」という台風の進みは遅い。
また、「いまだかつて人類の経験したことのない」被害が、
引き起こされるのだろう。
私は、スケッチセットを持って、廊下の突き当りに設けられた
窓際のベンチに座ったが、絵を描く気分にはなれなかった。
これからいくらでも、絵にかける時間はある。
今は、この窓からの景色をただ、眺めていたかった。
窓から見下ろすと、岩に砕けて散る波しぶきの白さがはっきり見えるほど近いが、その音は全く聞こえない。
この荒れ方なら、海鳴りも聞こえてよさそうなものなのに。
海はすぐそこにあるのに、まるで、映像のようだった。
鋭く稲妻が走ったが、その後の雷鳴も、響かない。
ふと、先程から風の音だと思っていた高くか細く響くこの音は、誰かのすすり泣く声だという事に気づいて、気が滅入る。
場所を変えよう、地球で過ごす最後の夜は、静かに過ごしたい。
そう思って顔を上げると、若者と目が合った。
この施設に入ってから、何度も見かけた記憶があった。
ひょろりと背が高くて、いつも楽しげで、社交的な印象の若者だ。
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