ホタル

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「狭山ってさ、なぎちゃんのこと好きらしいよ」    律子に耳打ちされた。  夏休み前のことだった。    「えっ?」 「マジだよ。伊藤が言ってたもん」  内緒に言われてたから、内緒ね。  凪は狐につままれたような顔をして、ちょうど伊藤と話している狭山を見た。  狭山は、いつもどおり、何かけだるそうに伊藤に肩を組まれていた。  でも、けっしていやなかんじではなく、口元には笑みが時々浮かんでいた。    狭山君が、私を好き?    凪はびっくりしてしまった。  狭山に好きな人がいるなんて。それも自分……    そう思った瞬間、何かものすごく、くすぐったいものが、凪の胸を走りぬけた。  ふわふわとした、甘い感覚。  不意に、狭山が顔を上げた。  自然、目があう。  伊藤が、狭山を意味有りげに小突いた。狭山は小突き返す。  ただ不快だとか、そういう感情じゃない、狭山の表情は少し複雑だった。  その顔の意味を考えた時、   (あっ)    凪は、狭山の顔がまともに見られなくなっていたのだった。    好かれたから、好きになるなんて、なんだか浮かれてる。  そんな気持ちだってあったけれど。    狭山のことをよく思い出すのだ。  たとえば、四月の五十メートル走で、一緒に狭山と走ったときのこと。  狭山は足が速かった。狭山の細身の背は、ぐんぐん遠くなった。焦りと恥ずかしさでいっぱいになりながら、凪は走っていた。  なんとかゴールして一息ついたら、とっくにゴールしていた狭山が、ゴールラインでずっと立っていた。  なんだろう、凪は不思議に思って狭山を見た。狭山も凪の顔を見る。  そして何も言わず、伊藤たちのところへ行った。  何だったんだろう。そう思ったけれど、何だかあたたかかった。  他にも、となりで合唱の練習をしたときの歌声とか、給食のとき、配膳を手伝ってくれたときのこととか、いろんな狭山のことが思い出された。  凪は、ずっと自分が狭山を見ていたことを知ったのだった。   「そろそろバスいこ」 「おう。吐くなよ」 「酔い止めもってるから!」 「じゃー」 「うん、いこーなぎちゃん」 「う、うん」    律子が伊藤たちに手を振った。凪はそれに合わせて、手を振る。  一瞬だけ、狭山がこっちを見た気がして、凪はどきりとする。慌てて顔をそらして、律子のあとに続いた。   「ひひひ」  律子が凪を小突いてきた。凪はかっかとして、律子の腕にすがった。
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