ー1一

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目が覚めると、ルームウェアが肌に張り付く感覚があるほどの汗をかいていた。 口が乾き、心臓の音が頭に響く。 顔に張り付いている前髪をかき上げ、額の汗をぬぐった。 久しぶりに見たなぁ。 初めてミュータントに出会ったあの日の夢を今でも時々見る。 しばらく見ていなかったのだが、まるで昨日起きたことかのように鮮明にあの時の光景が脳裏に張り付いている。 枕元に置きっぱなしのiPhoneのロック画面には、10月1日と表示されていた。 あの日から、今日で10年。 無意識のうちに10月1日を意識していたのかもしれない。 あの日以来、丹波は姿を現さなかった。 遺伝子工学の授業はキャンセルとなり、この授業が必要だった生徒には別の授業を受けることで必修単位とみなすことが通達された。 本来であれば非常勤講師をつけて講義を実施するのだろうが、講義内容がミュータントであったこと、そして丹波本人がミュータントで、しかも人を殺めてしまったという事実を大学は無視できなかった。 あの日のことは翌日にはニュースとして全国を駆け巡った。 丹波が明智大学の教授であったことも手伝い、センセーショナルな見出しとともに新聞やインターネットニュースで扱われ、丹波の生い立ちまで詳細に記している記事もあった。 私とミキは何度も警察の事情聴取を受けた。 死んだ男の死因は感電死。 もちろん電源などなく、私たちも丹波がミュータントであることを隠し通すことはできなかった。 最初に襲ったのは死んだ男の方であること。 ミキを襲うところだったこと。 何が起きたのかはっきりとは見ていないが、結果的に気が付いた時には男の意識はなかったこと。 ここまでは事実を話したが、気が付いた時には丹波がいなくなっていたと話した。 私が警備員を殴ったことに関しては、銃口を向けられ、気が付いた時にはとっさに体が動いていたと話した。 警察は解せない様子だったが、結局は私たちの話を信じるしかなかったようだ。 のちに、現場の監視カメラの映像はすべて破壊されていたと知った。 LINEを起動し、ミキとのチャットを呼び出す。 すでにチャットログはなくなっていた。 彼女、何をしているのだろうか。 あの日以来、ミキは取りつかれた様にミュータント研究にのめり込んだ。 卒業とともにアメリカへと旅立ち、そこから彼女とは音信不通である。 何回かInstagramにコメントをしてみたりしたが、彼女から返信が返ってくることはなかったし、新しく写真が投稿されることもなかった。
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