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 それにしても、この糸。 「もしかして、釣り糸か?」 『初心者なら、ナイロン製が良いよ』  突然、頭の中で懐かしい声が聞こえた。 「シュンジ君……。えっ?」  呟いて、ドキリとした。糸を繰る手が思わず止まる。 『耐久性なら、フロロカーボンかポリエチレンだけど、ナイロンはしなやかだし、絡まりにくいんだ』  中2の夏休みに半月だけ過ごした、海辺の町。そこで出会った、坊主頭の男の子の姿が鮮やかに蘇った。当時、両親が離婚の調停中で……俺だけ祖父母の家に預けられた。事情が事情だけに、祖父母の家の中にも居づらくて、海辺をブラブラしていたら、釣り竿を持ったシュンジ君が声をかけてきた。釣りなんて未経験の俺に、餌を付けた状態の竿を貸してくれた。俺達が仲良くなるのは、すぐだった。  ガラン……ガラ……ガラン  そういえば、シュンジ君はアルミのバケツを持っていた。キンキンに凍らせたペットボトルを入れて、クーラーボックス代わりにしていたっけ。 『向こうに帰ったら、手紙書くよ!』  たった半月、多分2週間程度だけど、俺に取ってはつらい現実を忘れられたキラキラした日々だった。離婚の成立した母が迎えに来て、元住んでいた家から引っ越して、都会の学校に転校して……すぐ目の前に受験が迫ってきて。シュンジ君のことは、すっかり忘れていた。手紙も、結局書かず終いだった。 「シュンジ君」  左手に持った糸の輪は、もう何メートルになるだろう。おかしいじゃないか。そんなに長い糸の先に付いたモノの音が、すぐ近くから聞こえてくるなんて……。  強張った右手に力を込める。思い切って、糸をグイと引いた。  耳障りに思えた異音はなく――手応えなく巻き取られた糸の端には、なにも付いていなかった。 「シュンジ君、なのか……?」  彼になにがあったのか、今となっては知る由はない。田舎の祖父母も数年前に亡くなっており、あの海辺の町との繋がりは疾うに消えている。 「手紙……ごめんな」  暗闇は答えず、フワリと、あの夏の潮の香りがした。 【了】
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