幻蚊

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 ここまでの話で、マボロシカがいかに厄介で怖ろしい存在であるか、分かってもらえたかと思う。  そしてそれを理解してもらえれば、蚊取り線香を切らせてしまった今の俺がいかに危険な状況にあるかという点についても分かってもらえるかと思う。  少し前から夏休みに入った娘の楓子が、昼間から蚊取り線香を使っていたため、予想外の速さでストックが消費されていたのだ。  帰宅早々にこれを聞いた時、俺は思わずカッとなって楓子を殴りそうになった。  しかし、びくりと身を竦ませた楓子を見て、すんでのところで思い止まる。  俺は深呼吸を二、三度繰り返してから、怖々とこちらを見上げる楓子に「今から買いに行ってくる」とだけ告げ、返事も待たずに家を出た。  今回はぎりぎりのところで、思い止まれた。だが、いつも自分を抑えることに成功するわけではない。  俺は既に、何度か楓子を殴ってしまっていた。  昔の俺は、虐待を受けて育った人間はやがて自分も虐待を行うようになるという話を単なる俗説として一笑に付していた。  だが今の俺は、自分の中にこの説に縋りたい気持ちがあるのを否めない。  もし育ちが関係無いのなら、今の俺がこうなのは、俺本来の人間性の問題ということになってしまうからだ。  楓子は今年で十三歳になる。  本来なら娘の成長は喜ばしいことのはずだが、どういうわけか俺は、楓子が成長するに連れて、カッとなることが多くなっている気がする。  それは、成長するに連れて楓子があの女に似るようになってきたからか。  それとも、あの時の俺自身の年齢に近づいてきているからか。  ……馬鹿な。  楓子があの時の俺と同じ年齢になったとして、だからどうだというのだ。  俺はそれ以上余計なことを考えないよう、自分の思考に蓋をした。
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