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ためらいを振り切るように敢えて口に出すと、私は机の横にあった丸椅子を引っ張ってきてそれに上った。一呼吸して、棚に並んでいるものを束で掴みだす。
一年前、詞が亡くなった時にご家族にお返ししようとしたけれど、いくらかの主だった作品アルバムや展覧会カタログを除いて、「写真関係のものは葵ちゃんが持っていて」と言われてしまった。詞にもそれが一番良いと、ご両親から頼まれた。
本棚の右端から、カメラ・テクニックの参考書、色彩論の本やインテリア・デザインのカタログ、詞個人が受けたクライアントのファイル、展覧会カタログ、それからスナップ写真のアルバムが並ぶ。それらはどれも、詞がこの事務所の椅子に座ってたびたび開いていたものだ。私は本棚から抜き出しては、手にしたものをなるべく見ないように、段ボールに入れ込んで行った。
片付けの手が、詞の集めた旅行パンフレットの部分に差し掛かる。信じられないほどフットワークの軽かった詞。周りに活気を振りまく明るさで、突然いなくなるなんて思わなかった。
私は、詞に持病があるのを知らなかった。後から聞けば、詞は家族にも伏せるよう頼んでいたらしいし、私もほんの少しも気がつかなかった。なにせコントロールを正しくやっていれば、普通の人と全く同じに生活できる病気だったのだ。
でもそれは、ほんの少しの「ズレ」で簡単に崩れてしまう、ひどく繊細なバランスだった。
一年前の夏の終わり、他の仕事との折り合いをつけ、二週間早い私の誕生日祝いを兼ねて、ヨーロッパに撮影旅行に行った。旅程を決めるのに、その時は詞が行きたがっていたロンドンの代わりに、私が選んだチューリヒ近郊を優先してくれた。
もともと夏でも朝晩は上着が必要なアルプス地方だが、去年、私達が行った頃のヨーロッパは異様に寒く、現地で服を調達しないと凍えそうな程だった。それが帰ってきたら日本は外気温が毎日体温並みの酷暑。それまで極めてうまく保っていた詞のコントロールは、呆気なく崩れた。
帰国してまもなく、詞はスタジオ撮影中に気を失った。一回目はすぐに意識を取り戻し、「ただの貧血」と言って笑ったけれど、数日後に再び倒れた時はそうはいかなかった。詞は深い昏睡状態のまま、私が呼んだ救急車で病院に運ばれた。いくら呼びかけても、詞は目を覚まさなかった。
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