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「え、じゃあ唐揚げにレモンかけるのはどうですか〜?」
天井の低い居酒屋の一室。
質の悪いアルコールの臭いが、辺りに充満している。
「あ〜、ゆるせないね。無理」
上目遣いで身体を擦り寄せて来た女の顔をまともに見ようともせず、翔吾は電子タバコを口に咥えた。
普段なら初対面の女の前で吸うような事はしない。ちょっとした気配りを演出することも必要だ。
けれど、この程度の女が相手なら気を使う必要もないだろう。
マスカラをたっぷりと盛って、豆粒のような目を必死に大きく見せようとしている目の前の女に、翔吾は全く興味を感じなかった。
もともと、気が進まない合コンだった。
「頼むッ! 最低でも一人はイケメン枠が必要なんだよ〜!」
と、同僚の桝崎に頼まれたこともあり、仕方なく足を運んだのだ。
「じゃあ〜、頼んでもいないのにサラダを取り分ける女はどうですぅ? ゆるせますかぁ?」
翔吾の隣には、例の豆粒女がぴったりと貼り付いている。
「〜はゆるせるか?」なんていう毒にも薬にもならない話をずっと続けていて、翔吾はもうウンザリとしていた。
ちらり、と桝崎の方に目をやると、少し離れた場所で胸だけがデカい女を相手にしてデレデレと鼻の下を伸ばしている。
翔吾はチッと舌打ちをした。
桝崎のヤツ。
少し借りがあるから協力してやったが、もうこんな手伝いはこれっきりだ。
桝崎への苛立ちをぶちまける様に、翔吾は豆粒女の質問に応えた。
「サラダ? ゆるせないね。俺の食うもんを勝手に決めてんじゃねーよって思う。けど、一番ゆるせないのは、うるさい女だな。ペチャクチャと、聞いてもいない事を喋り続ける女だよ。ちょうど、あんたみたいなさ」
翔吾は半笑いの表情を浮かべながら、そう捲し立てた。
分厚い化粧に覆われた豆粒女の表情が、ギョッと固まったことがわかった。
その反応が、翔吾には小気味良かった。
場の雰囲気が凍りつくのもお構いなく、言葉を続ける。
「あと、似合ってない化粧をしてる女もゆるせねえ。顔に似合わないブラントの服を着ている女も。箸遣いが下手なくせに、他人と顔合わせて飯を食おうとする女もゆるせねえな。見苦しいからやめちまえってんだよ」
翔吾のいるテーブルの周りだけが、シンと静まりかえっていた。
誰かがテーブルの上に箸を置く音が、カチャリと聴こえた。
目の前にいた豆粒女が、いつのまにか深く俯いて肩を震わせていた。
惨めったらしく、泣いているのだろう。
それに構わず、翔吾は電子タバコに口をつけた。
口の端を歪めて、ふーっと煙を吐き出すと、惨めな女の姿が白く紛れて、幾分か気分が良かった。
「……ま、まぁ、それぐらいにしとけよ、翔吾」
桝崎の恵比寿顔が引き攣っている。
翔吾は、フンと鼻を鳴らした。
人を都合よく使おうとした罰だ。存分に慌てふためけばいい。
場の空気をなんとかしようとしてワザとおちゃらけはじめた桝崎を、翔吾はニヤニヤとした笑みを浮かべて眺めていた。
その時だった。
「ごめーん、遅れちゃったぁ」
粗末な居酒屋の外観にそぐわない美女が、翔吾のいる個室に入ってきた。
長い黒髪が靡く。
甘い香りが翔吾の鼻腔をついた。
「もう始めちゃってた? 予定外の残業入っちゃって、これでも急いで来たんだよ〜」
その女の朗らかな口調で、部屋の中に漂っていた緊張感がドッと解れた。
「もう〜、ミナミ遅いよ〜」
胸の大きな女がそう言うと、この機を逃さない、という様子で、桝崎がもう一度その場を仕切り直し始めた。
ミナミ、と呼ばれた女は、空いていた翔吾の左隣の席に腰を下ろした。
「……よろしくお願いします」
翔吾にだけ聞こえる様な声で、ミナミは小さく囁いた。
「あ……よろしく」
小首を傾げたミナミの黒髪が揺れる。
形の良い唇は、薄い微笑みを浮かべていた。
濡れているようにも見える、くりっとした大きい眼が翔吾を見つめていた。
その瞳と目を合わせた時、翔吾は自然と電子タバコの電源を切り、身を乗り出していた。
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