天使に遭遇

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天使に遭遇

 その週の土曜、休日出勤(クソ)をこなしてから、俺は同窓会に向かった。会場に指定されていたのは、繁華街のビルに入る、こじゃれたカフェだ。  コンクリート打ちっぱなしの内装に、暗めの照明。天井には夜空が投影されている。彩香のセンスはさすがだ。はじっこの薄暗いほうにいれば、他の連中との無駄な話を避けられそうなところも実にいい。  辺りを見回して、俺は違和感を覚えた。ちょっと人が少ない気がする。それも、彩香とよくつるんでいたような、男子のカースト上位グループが見当たらない。俺がどうやったって手に入らないもの、つまり〈太い実家〉を手にしていた奴らが。  そういう奴らは、同窓会といえばここぞとばかりにやって来て、大はしゃぎするものだと思っていたのだが。  高校の頃、中でも中心にいたのは、家がでかい会社を経営している奴だった。そいつの周りにはいつも女子や同じくカースト上位の男子が群がり、スマホで写真を撮ったり動画を撮ったり、大騒ぎだった。全体が入るようにと、その辺りの席に座っていた俺のほうまでぐいぐい押してくる。ついに俺は自分の椅子から弾き出された。  机の上に座った女子が、カースト上位の男子の肩に顎を乗せ、撮影を続行する。  それを為す術もなく見上げる俺。  中心で笑ってる男子は、そんな俺の存在に気づきもしない。  みじめというのは、ああいうことを言うんだろう。  そもそも俺たちの学校では、スマホは放課後までロッカーにしまうことになっていた。でもなんだかんだそういう連中は、教師にも贔屓されている。授業が始まっても教室の真ん中でわいわいやってるのを目に留めたはずなのに、教師は「おまえら他の先生に見つかるなよ~」と軽く諫めただけだった。  これがもし俺だったなら、没収の上反省文を書いて出さなければ返してもらえないはずなのに。  もしや。彩香はそいつらには「絶対来てね♡」のメッセージを添えなかったのだろうか。  ってことはあれはやっぱり、俺だけに――?  お決まりの挨拶が終わり、それぞれ散らばって歓談が始まる。俺は人波を縫って、彩香の元へ近づいた。薄暗い照明でも、彩香がどこにいるかはすぐわかった。当時同様、人に囲まれていたからだ。  彩香は髪をポニーテールではなく、ゆるく編み込んでひとつにまとめている。耳に着けたピアスが照明を受けてきらっと輝いた。記憶の中よりもいっそう可愛くなっている気がする。みんな彼女を取り囲んで、まるで女王の謁見を待つ取り巻きみたいだ。  思わずにやけてしまう。俺は女王から手書きのメッセージをもらってるんだぞ。  取り巻きをかき分けて前へ進もうとしたとき、すぐ近くから囁き声が聞こえた。 「マジあほらしいよねー。見た? あのメッセージ」 「見た見た。けどさあ、それで来ないっていうのも、妬んでるのかと思われたら癪じゃん?」 「それな。彩香って高校のときも橘とか小野寺とか、藤井辺り狙いだったよね。わっかりやす」  なんとなく棘のあるその響きに、俺は足を止める。囁き声の主たちをそっと伺い見た。化粧をして少し面立ちが違って見えるが、彩香とよくつるんでいたメンツだ。名前が挙がった三人は、彼女たちの中心にいた実家の太い男どもだ。  野郎なんかの顔を思い出してしまい、舌打ちしたとき、彩香を取り囲んでいる輪の中から、ひときわ大きな声が聞こえた。 「えー、それ、婚約指輪? すごーい」  彩香の声が応じる。 「うん、あんまりお金かけなくていいよって言ったんだけどね。彼が、こういうのちゃんとしとかないと女の人はあとが怖いからって。ひどくない?」 「いやそれは照れ隠しでさあ、やりたかったんだよ、愛する人のために」  同意するような笑みが、輪のあちこちから漏れた。 「いいなあ、エリートとの結婚~」  誰にも話しかけられないのをいいことに、俺はそれからしこたま酒を飲んだ。  料理もつまんだが、そもそも量が鳥の餌ほどしかなかった。照明が暗いのは、しょぼい料理をごまかすためだろう。 「誰だよ、こんな店選んだ奴は……!」  したたかに酔って、途中何度かつまづきながら、ふらつく足で外に出る。  要するにあれだ。彩香は、自慢話をしたくて一枚一枚手書きメッセージを添えていたってことだ。今でも交流のある男は、それと知っていたんだろう。で、事前に茶番を回避した。  つまり、のこのこ出てきた俺は、まごうことなきあほだった。 「♡なんかついてたら勘違いするっつーの! するっつーのー!!」  二十時前の繁華街。まだまだ人も増えて来る時間だった。これから飲みに行くらしき人、すでに一杯ひっかけて、二軒目を物色中らしき人。いずれにしてもみんな楽しそうだ。  同じ道を歩いているのに、俺だけが淀んだ沼底を歩いている。  足を前に進める。酔いのせいで、ただそれだけのことがうまくできない。俺はつまずいてすっ転んだ。 「クソ……!」  罵りながら立ち上がると、ふと、ビルとビルの間の一角に視線が吸い寄せられた。そこだけが、なんだかぼんやり光っているようにみえたからだ。  なんだ――?  完全に酔いが回った頭で、どうにか目をこらす。光っているように見えたのは、どうやらそこにしゃがみ込んだ人影が、ふわっとした白いワンピースを身に着けているかららしい。  白い鳥を思わせるその裾が、路地裏の薄汚れた地面に着いてしまっている。  具合でも悪いのだろうか。  道行く他の人は気がついていない。気づいていても、こんなところにしゃがみこんでいる人間と、関わりたくないだけかもしれないが。  とにかく、そのとき辺りで彼女を気に留めているのは、酔っ払いの俺一人だった。なら、このまま無視して―― 「あのー……」  無情になりきれないのが、俺の悪いところだ。  引き返して声をかけると、俯いていた女性はゆっくりと面を上げた。肩の辺りでわだかまっていた長い髪が、さらっと滑る。俺の姿をとらええると、彼女は息を呑んだ。瞳孔が大きくなる。  しまった。これ、良かれと思って声かけたら、大声を出されるパターンか。 〈痴漢冤罪〉の文字が酔いの回った頭の中でも禍々しく点滅して、俺は身構えた。  なんなら今すぐ走って逃げたほうが? 踵が浮きかけたが、彼女はひたすら怯えたような様子でこちらを見上げているだけだった。その瞳には、悪意があるようには思えない。 「えっと、具合が悪いのかなと思って。大丈夫ですか?」  精一杯「他意はないんですよ」と言外に滲ませて、俺はゆっくりとくり返した。  手慣れた様子のメイク、微かに香って来る香水も落ち着いたもの。どうやら同年代らしいと判断して、密かに息を吐く。未成年だったら間違いなく事案だ。  よく見ると、彼女のかたわらには大きなキャリーバッグがあった。旅行者が急な体調不良で難儀しているのか? 「救急車、呼びますか? それか、交番とか」  そう口にすると、彼女はふるふるとかぶりを振った。少し考えた様子を見せたあと、スマホを取り出す。指を滑らせて、こちらに見せてくるその画面には『大丈夫です』と短く打ち込まれていた。 「あ、声……出せない感じ?」  病気かなにかだろうか。 「こんなところでなにしてるんですか? どこか行く途中……?」  彼女はふっと微かに笑みを浮かべた。どういうわけか、ほんの少し淋しさの滲む笑み。不思議と目が離せなくなる。  彼女は再びスマホの画面をこちらに向けた。 『行くところはないんです。どこにも』 「へ? ―」  どういうことだ?   戸惑っていると、背後がざわついた。見れば、同窓会が行われていたビルから続々と人が吐き出されてくるところだ。 「二軒目行く人―っ!」  上機嫌な声は彩香のようだった。 こんなところでぐずぐずしているのを見られるのは気まずい。かといってわけありの女性を放っておくのも気が引ける。いや、わけありの女性になんか、関わらないほうが賢い、のか?  迷っている間に、彼女の顔色は一層青くなっていた。呼吸も荒い。 「え、ちょっと、大丈夫ですか?」 さっきまで平気そうだったのに―でも、演技のようにも見えなかった。前門に正体不明の女、後門にいけすかないクラスメイト。 酔いも手伝って、冷静な判断ができない。 「あーもー、とりあえずうち行きましょう! うち!」 タクシーを止めて荷物と彼女を押し込んだとき、一瞬だけ冷静な考えがよぎった。  俺はまた、不幸を引き当てているのか?  日曜の朝、まどろみの中で「まだ寝てていいんだ……」と感じる。この幸福に抗える人間がこの世にいるだろうか。いやいまい。この幸福唯一の欠点は、ひとたび身を任せるとなぜか夕方になっているということだけだ。  だけど今日は、少しだけ様子が違っていた。 「ん……?」  彼女いない歴=年齢の男の怨念を燻したみたいな臭いしかしないはずの俺の部屋に、なんだかいいにおいが漂っている。  長い髪が顔の上に落ちかかる。にこ、と微笑むのは昨夜の彼女だ。  記憶が、頭のあちこちにぶつかるようにして一気によみがえる。そうだ、俺、昨日、見ず知らずの人間を家に入れて―そのあとの記憶がない。調子よく「ベッドとか、洗面所とか、好きに使って。俺は床でも寝られるから」とかなんとか言ったような気はするが。  洗面所どころか、なんでも好きに持ち帰られてたらどうすんだ?  今までの人生で一番くらいに腹筋を駆使してがばっと起き上がると、激痛が頭を貫いた。 「て……っ! え……あ……と、」  俺が言いよどんだのを察して、彼女はスマホを取り出す。 『りお、です。昨夜はありがとうございました』  彼女―りおっていうのか―は、昨日より普段着ぽい小花柄のワンピースに着替えて、たしかにそこにいた。 『お礼に朝ごはん作ったんですけど、食べられそうですか?』 「あさ……ごはん……?」  まるで初めてその言葉を聞いたみたいな気持ちでくり返して、俺は部屋を見回した。床に散乱していたゴミやDMがなくなっている。なんだか爽やかに感じると思ったら、窓が開け放たれていて、その向こうにはまだ青い空が広がっていた。  テーブルの上には、どんぶりに白いおかゆ。小皿に載っているのは塩昆布と、いい具合に半生に焼きあがったたらこ。 『ずいぶん飲んでたみたいなので、軽めのものがいいかと思って』  極めつけには、はにかむように微笑む彼女。  数日前俺が夢にまで見た光景が、そこにはあった。  結局俺は、おかゆを三杯食べた。 「あー、幸せだ~」  床にあおむけになり、呻くと、りおがくすりと笑う気配がする。りおは食器を洗い終えると、寝転ぶ俺の元に戻ってきて、正座した。改まった空気に、俺ものそりと起き上がって座り直す。 『図々しいお願いだとはわかってるんですが、しばらくここに置いていただけないでしょうか』  見せられたスマホ画面の文字を、読むことはできる。が、意味が入ってこない。だってこんな美女が、向こうから転がり込んでくるって、あるか? 新手の詐欺か? 美人局か?  さすがに身構えていると、りおは再びスマホに言葉を打ち込む。 『すみません。ご迷惑でしたよね。昨夜は本当にお世話になりました』  深々とお辞儀して、りおは立ち上がった。玄関へ向かおうとするその背は、ひどく頼りなく見える。昨夜見せられた『行くところはないんです』の文字が脳裏によみがえった。 「す、少しで、いいなら……いてくれても、俺は」  何言ってんだ俺は。いくら美人とはいえ、こんな、身元もわからない人間相手に。そんな思いは、りおが振り返った瞬間見せた顔で吹き飛んでしまった。 心底ほっとしたような―眩しい笑顔。 「そ、そうと決まったら、布団とか、買い物行こう。俺明日からはまた人間らしい暮らしじゃなくなっちゃうから!」  自分で言ってて哀しくなるが、事実だ。  俺はりおを伴って街に出た。ひとまず駅ビルの中のインテリアショップに入る。 「えっと、まず必要なのは布団と食器かな。俺布団持ってくるから、食器見てて。今うちろくなのなかったでしょ」  俺は布団のコーナーに行き、すぐに持って帰れる三つ折りのマットレスを選ぶ。食器のコーナーに戻ると、りおはゆっくりと棚の間を歩き、食器を吟味していた。その歩みがぴたりと止まった。吸い込まれるように視線を注いでいる その先にあるのは、可愛いピンクの茶碗だ。  ただのピンクではなくて、角度によってちょっと色が変わる。茶碗と洋食器を足して二で割ったみたいなテイストで、ふちにぐるっと白いレース模様が入っている。なんというか、お姫様の茶碗って感じだ。  可愛い子は選ぶものまで可愛いなあ。  でれっとやにさがってしまう。けれどりおは、しばらくするとその隣のなんの飾り気もない白いものに手を伸ばした。 「えっ」  俺の存在に気がついていなかったらしい。りおは一瞬びくっと体をこわばらせた。 「ピンクのにしようよ」  せっかく可愛い女の子と暮らせるんだ。可愛い物を使って欲しい。棚から茶碗を取ってりおに手渡すと、彼女は目をしばたかせた。 「あ、駄目だった?」  訊ねると、りおは弾かれたように面を上げた。ふるふるとかぶりをふる。可愛い。これ見よがしに指輪の自慢をしていた彩香とは、正反対のいじらしさだ。  りおは慌ただしくスマホを取り出すと『ありがとう』と打ち込む。それからあらためて、孵ったばかりの小鳥の雛でも扱うかのように、茶碗を大事そうに掌で包んだ。その様子に、なんだか俺も胸がいっぱいになる。  それから、こまごまとした生活用品を一緒に選んだ。  なんだかこれ、同棲を始めるカップルみたいじゃないか?
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