約束の日には帰ってきてね

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大嫌いな季節が来た。 私は冬生まれだからなのか、暑さがとても苦手なのだ。 照りつける陽射しの下を歩きたくはないし、汗もかきたくない。キャンプや海水浴などのイベントに行くなんてもっての外。だから大学が休みに入ると、バイトに行く以外は極力外には出ないようにしている。 しかし、八月のある日だけは、外に出ることが苦痛じゃない。一つ下の弟が帰って来るから。 小学生の時に、親同士の再婚で出会った弟。私よりも小さくて可愛いかったのに、中学生になると一気に身長が伸びた。頭一つ分背の高くなった彼を、私は見上げるようになった。 「悔しい」と怒る私の頭を撫でて「美月は可愛いな」などと生意気なことを言った弟。 本当は嬉しかったのに「もうっ、触んないで」と素直じゃない態度をとってしまった。その頃には、私は彼を弟として見れなくなっていたから。 気持ちを隠して姉弟を続け、弟は県外の大学に行ってしまった。大学生活を満喫しているらしく滅多に帰って来なくなった。でも八月には必ず帰って来る。出会った最初の夏にした約束を守るために。 そして今年も帰って来た。 部屋で昼寝をしていると「美月」と声がして飛び起きた。 「あ…れ?いつ帰ってきたの?」 「ついさっき。よく寝てたな。よだれが垂れてる」 「えっ!」 慌てて手の甲で口元をこする私を見て、弟が目を細める。 整った精悍な顔つき。血が繋がってないのだから当然私とは似ていない。きれいな顔が羨ましいと、思わず見とれてしまった。 「なに?なにかついてる?」 「…別に」 逆に見つめられて恥ずかしくなり、ふい…と目を逸らせる。すると頬に冷たいものが触れて、驚いて弟の目を見た。 「美月は可愛いな。今年はいい人できた?」 「可愛くないし。それにそんな人いないよ」 「そっか」 弟が安心したように笑う。 私の気持ちは、きっとバレている。でも弟の気持ちはわからない。私には格別に優しい。それは姉だからなのか好意を持ってるからなのかがわからない。 でも出会った最初の夏にした「夏祭り、毎年一緒に行こうね」という約束を守ってくれるのだから、少しは好きだと思ってくれてるのかな。 「なぁ。そろそろ出た方がよくない?」 「あっ、ホントだ!すぐに着替えるっ」 「じゃあ外で待ってるから」 「うん、ごめんね?」 「大丈夫」 弟が笑って出ていく。 その笑顔を見て胸が苦しくなって、少しの間、動けなかった。 「美月、お店見なくていいのか?りんご飴食べたいんじゃないの?」 「いいの。ここで花火が上がるまでゆっくりしてよ?」 「いいけど…。暑い?」 「うん…暑いね」 誰もいない神社。社へ登る階段に並んで座り、ぼんやりと夜空を眺めていた。 目の端にチラチラと何かが映り、横を向く。 弟が懸命に手を振って私の顔を扇いでいる。 「なにしてんの」 「美月が暑いって言ったから」 「ぷっ!そんなので涼しくなるわけないじゃん。大丈夫。あそこよりは涼しいから」 「そう?」 私は眼下に見える灯りを指さして笑った。 ここはとても小さな山の上にある。祭りが行われている川べりからはさほど離れていないが、喧騒から遮断されたように静かだ。だから会話が途切れると、私の飲み込む唾の音まで聞こえそうで、なんだか緊張してしまう。 ぽつぽつと大学の話をしたりして時間を過ごしているうちに、ようやく最初の花火が上がった。 「うわあ…きれい」 「そうだな」 目に飛び込んでくる華やかな光と、ドン!と胸の奥に響く低い音が、日常から離してくれる。 私は、今日こそは気持ちを伝えようと決めていた。叶うことはないけど、自分の口から伝えたいと決めていた。 連続で上がっていた花火が一旦止まる。私は意を決して横を向く。だけど弟がいない。 弟はいつの間にか後ろに座り、私を抱きしめていた。 「えっ…あ…っ」 「美月」 「ちょっ…と、いつの間にっ」 「花火を見上げる美月が可愛くて。俺はずっと美月を見てた」 「え?いや、花火を見ようよ…」 「美月を見てる方が楽しい」 「…どうしちゃったの」 「どうもしない。俺は美…」 「待って!あの…ね、光月、伝えたいことがあるの」 「うん、なに?」 私は私と同じ名前を口にする。光月とは大好きな弟の名前だ。 「私…光月が好き。ずっと前から好き」 「ホントに?嬉しい。…俺もだよ。美月が好きだ。そっか…同じ気持ちだったなら、俺が家を出る前に伝えてたらよかったな…」 「うんっ…、でも言えてよかった。ねぇ、これからも毎年帰ってきてくれる?私のところに来てくれる?」 「いいのか?いつか美月に恋人ができたらやめ…」 「ばかっ!今言ったじゃん!好きだってっ。これからもずっと好きなの!だから帰ってきて!お願いだから…っ」 「…わかった。必ず会いに来るよ」 「約束だよっ」 「うん、約束」 私はクルリと身体の向きを変えると、光月に抱きついた。 光月も強く私を抱いて、お互いにゆっくりと顔を近づける。 唇に柔らかく冷たい感触がする。しばらくキスをして、ゆっくりと顔が離れた。 光月が嬉しそうに笑う。 「ヤバい…嬉しくて死んじゃいそう」 「その冗談やめて。笑えない…」 「うん、ごめん。美月、いつも傍にいてやれなくてごめんな」 「ホントだよ。だから約束守ってよ」 「守るよ」 もう一度キスをしようとした光月の顔が、透けていく。 「あ…もう時間?」 「うん…。また来年に来るからな」 「うん待ってる」 「消えても美月が帰るまではちゃんと見てるから。気をつけて帰れよ」 「うん」 腕の中の光月の実体が薄れて、花火が上がった後の煙のように消えた。 光月が交通事故に遭って死んだのは、大学一年の夏休みに入ってすぐのこと。 悲しくて悲しくて何にも手につかなかった私の前に、光月は帰ってきた。夏祭りの約束を守るために帰ってきた。そしてそれは、これからも毎年続く。続いて欲しいと願っている。 (終)
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