今日の京都はぬらりひょんの手のひらで

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 事の発端ははやてが五歳になったばかりの頃、何の前触れもなく、呪術が使えるようになっていた。本人は無意識の内に発動していたようで、幼稚園の子供たちに被害が及んだことで発覚した。  被害にあった園児たちからの証言では、【遊具がひとりでに動き出した。部屋の花瓶が勝手に割れた】などの怪奇現象に見回れたという。最初ぬらりひょんたちは、はやてが霊力を放ったという事実にたどり着けなかった。正確には考えにも及ばなかったとのこと。  然るべくして疑うは身内であり、術師の家系である。 『五歳になったはやてが術を使ったなどと、誰が思いつくのか。ワシらは無意識に、はやてを(かくま)おうとしておったのやもしれん』   どこで、誰に教わったのか。未だにそれすらわかっていない。  もしかしたら、自然と身につけた能力なのかもしれなかった。ただそうだとしても、コントロールできぬ力であるならば持つ意味がない。むしろ危険しかないため、その力を封印することに全力を注ぐだろう。 『孫は小さかったゆえ、あの刻の事は何も覚えとりゃせん。むろん、ワシらは謂うつもりもないがの』  ぬらりひょんらは、これを暴走というかたちで締めくくった。はやてには力をコントロールする術を与え、今に至るのだと述べる。 『あの子の母は梓巫(あずさみこ)じゃ。陰陽師の呪力に加え、ワシのあやかしとしての霊力。その二つが(せめ)ぎ合い、結果としてどちらにも属さぬ能力を持つ事となった』  いわば、はやてはクォーターであった。結果として陰と陽の力がぶつかり合い、混ざって強力な霊力を持つ器となってしまう。    ぬらりひょんは息子たち、そして何よりも大切な孫であるはやてに申し訳ないなと憂いていた。 「……おかしい思っとたんや。いくら陰陽師系統やったとしてもあないな力……"あやかしの記憶や想いを食らう"なんちゅーもんは、普通に考えてありえへんねん」  八条通にいた絡新婦(じょろうぐも)、そして寺町通にいた狸、はやてはこの二体の記憶と想いを食らっていた。それは不思議で神秘的な光景ではあったものの、人間の域を越えた能力でしかなかっのだ。 「それ謂うたら、俺の紬糸かてそうなんやろうけど……」  あれは霊力で作り出した技だと謂えば説明がつくのだろう。しかしはやてのそれは、霊力などという次元の問題ではなかった。  記憶、しいては心を食べるなど、陰陽術ですらない。  真楽は、はやての儚げで脆い心を思い浮かべた。
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