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旦那様は悪役令息ではございません
魔の森へ追放だなんて、死ねと言っているのと同じこと。私は心配でたまらなくて、ぐずぐずと泣いてしまいました。
「ごめん。うん。そうだね。怖いよね。だからさ。セイラは帰っていいんだよ。僕に付き合わなくていいんだ……って、うわぁ、なんでまた泣くの」
帰っていいって……わ、私は邪魔ですか。
いくら優しい旦那様でも、泣く私が面倒になったに違いありません。でも私は帰りたくないのです。旦那様と離れたくありません。
ううう。早く泣き止まなくては、本当に置いていかれてしまいます。でも涙が止まってくれません。
「そんなわけないよ! むしろセイラがいないと僕は駄目っていうか、い、嫌っていうか……あの、その」
旦那様は言いにくそうに、胸の前でもじもじと指をこねくりまわしておられます。
いいんです。気を使わなくても。
境界を結界で囲んだ魔の森は、一歩足を踏み入れた途端に襲われます。だから護衛という名の監視の騎士たちは、魔の森の入り口までしかついてきません。
「うん。魔の森に入ったって事実さえあればいいからね。そのためにこんなとこまで付き合わせちゃって悪かったなぁ」
旦那様が申し訳なさそうに眉尻を垂らして、ちらりと騎士を見られますと、彼らはびくっと顔色を悪くしました。
ああ。ご自分を監視している者たちにまで気遣いをなさるとは。なんてお優しいんでしょう。それに比べてなんですか、騎士たちのあの態度。旦那様を見て怯えるだなんて。
「あはは。あの人たちとは、破壊竜の後始末でその、色々あったから」
? そういえばヒイロ様が倒された破壊竜、消えてしまったそうでございますね。
「えっ、あー、うん。そうらしいね」
旦那様が忙しく目を泳がせられました。
破壊竜の死体は、私たちが目を覚ました時にはございませんでした。旦那様とヒイロ様が言うには、忽然と姿を消してしまったそうです。
もしかして集団で幻覚でも見てしまったのかと思いましたが、そうではないという証にヒイロ様が鱗を一枚、持っておられました。破壊竜との戦いの際、剥ぎ取ったそうです。
破壊竜を倒した功績からヒイロ様は英雄になり、近く爵位を賜るとのこと。追放される旦那様とは対極の扱いでございます。
「仕方ないよ。だってヒイロは破壊竜を倒したけど、僕は怖くて震えてただけだもの。あ! ほら、もうすぐ着くよ」
馬に乗ること一ケ月。ついに魔の森が見えてまいりました。こんもり茂った木々は普通の森と同じですが、なんだか木が普通よりも大きくて黒々としていて、おどろおどろしく感じます。
後方で、護衛兼監視の騎士たちが止まりました。
ここから先は旦那様と二人きり。普通の森でしたら嬉し恥ずかしのドキドキでございますが、魔の森です。私はぎゅっと拳を握って覚悟を決めました。
お聞きください、旦那様。
「何?」
中に入ってすぐ逃げ出せば、なんとかなるはずでございます。
剣も魔法も使えない私ですが、魔物に食べられてでも、旦那様を逃がす時間は稼いでみせます!
「わぁぁっ、囮になるつもり満々っ!? ち、ちょっと待って。駄目駄目! 絶対そんなことしないからね」
大丈夫です。それなりに食べごたえはあるかと。
気になっていたお腹のお肉が役に立つ時がまいりました。何度も何度もダイエットに失敗しては、後悔していましたが。人生、何が役に立つか分からないものです。
「せ、セイラは確かに、い、色々と美味しそうだけどっ」
ええ。見事、餌の役割を果たしてまいります!
「わーっ、そんなことしなくていいから。必要ないから……あ」
バサバサバサッ。木々が揺れ、飛び立った鳥っぽい魔物がギャアギャアと鳴きました。森の中央の盛り上がった木から、巨大な何かが顔を出します。あれは、そんな。
真っ黒な巨体。ゴツゴツと硬そうな鱗。
は、は、破壊竜!?
なんてことでしょう。伝説の破壊竜とは何体もいるものなのでしょうか。伝説のくせに、それは反則でございます。
これでは私なんて一飲みです。
私はぺたんと尻餅をついてしまいました。腰が抜けてしまったのか、足に力が入りません。
旦那様だけでも逃がさなければ。そう思うのに動けません。なんて情けないのでしょう。全身が震えて、勝手に涙が出てきました。
「怖がらせてごめんね、セイラ」
優しく私の頭を撫でた旦那様が、そのまま破壊竜のほうに歩いてゆきます。
うう、嫌です。旦那様ぁ。お逃げくださいぃっ。
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、必死に叫びました。でも旦那様は止まって下さいません。その後ろ姿はとても恰好いいですが、嫌です。逃げてほしいのに。
森の境界、入り口の前で止まった旦那様は、腕組みをして破壊竜を見上げ、一言。
「伏せ」
はい?
ズウゥン。地響きを立てて破壊竜が地面に伏せました。下敷きになった木々がバキバキに折れて倒れました。
「クロ。セイラが怖がるから、僕がいいって言うまで伏せてろって言ったよね」
ブルブルブル。伏せている巨体が震えます。ズゴゴゴ。一緒に地面も揺れました。
「クロのせいでセイラが泣いちゃっただろ。分かってる?」
キュゥゥ。見た目に反して甲高い声が、長く細く響きました。
「そのまま伏せてて。分かった?」
バシンバシン。頷くように尻尾が上下に動くと、ガツンガツンと地面が揺れました。
「ごめんね、もう大丈夫だから。立てる? 立てなかったらおぶろうか? 怪我は?」
あのう、旦那様?
「何?」
クロって?
「えーと。実は」
ヒイロ様の聖剣でずどーんとやられた破壊竜ですが、死なないで降参のポーズを取ったそうです。今みたいにぺたんと伏せて、キュウキュウと哀れっぽく鳴いた破壊竜を可哀想に思った旦那様は、魔の森に移動させたのだそう。
「おっきいから、転移魔法でぴゅんって。ヒイロもちょっと呆れてたなぁ」
ぴゅん……。
私は深く考えるのを止めました。
ヒイロ様と仲がよろしいのですね。
「うん。言ったでしょ。僕の我儘なんだって。殺人未遂事件は渡りに船。棚から牡丹餅。ココもヒイロも全部知ってて、我儘を聞いてくれたんだ」
ヒイロ様は聖剣召喚のスキルから、勇者と認定されました。
神に選ばれた勇者は、勇者という強大な戦力の制御と、その能力を血に取り込むために、王侯貴族との結婚を進められます。
身分差の壁は取り払われて、王女殿下であるココとの恋仲は祝福されることでしょう。
「ヒイロはちゃんと告白したかなぁ。ココも素直になれたらいいんだけど」
きっと大丈夫ですよ。旦那様がここまでなされたんですから。
護衛兼監視の騎士たちは、報告のために帰っていきました。無事に魔の森に入ったとだけ伝えてね、という旦那様に首がもげそうなほど頷いて、物凄い勢いで馬を走らせて行きました。
魔の森の中は、外から見るよりも明るくて、緑に覆われております。時々、動く草花や木がありますが、旦那様に気づくと大人しくなります。魔物たちも見た目こそ恐ろしいですが、普通の動物のようです。
私の身長よりも大きな獅子の魔物の喉を撫でてやると、ゴロゴロと気持ちよさそうに目を細めました。魔物の毛は、旦那様の髪と同じくふわふわです。
ふふっ。怖くないと分かったら、可愛いですね。
私がそう言うと、旦那様は頬を赤くされました。やっぱり旦那様の方が可愛いです。
旦那様いわく、旦那様は悪役令息らしいです。憎まれて婚約破棄される、悪役。旦那様には似合わない役割です。こんなに素直で純粋で可愛らしい方なのに。
旦那様は悪役令息ではございません!
私がそう息巻くと、旦那様は嬉しそうに笑われました。
ああ、なんて素敵な笑顔でしょう。この笑顔の素敵さが分からないなんて。皆、見る目がないのです。
「ええと、その、セイラ。あの、あのね。僕」
はい。
耳まで真っ赤にした旦那様は、真っ直ぐ私を見て下さいました。それだけで幸せです。
「セイラが好き。僕を主従の旦那様じゃなくて、夫婦の旦那様にしてください」
これは夢でしょうか。
私は自分の頬を思いっきりつねりました。痛いです。
はい! 私を奥様にして下さいっ!
嬉しくて嬉しくて。私は旦那様に飛びつきました。ぎゅっと抱き締めると、抱き締め返して下さいます。
ああ。やはり旦那様は悪役令息ではございません。
「うーん。役割としては悪役令息だよ?」
実際に婚約破棄と追放されたし、と呟く旦那様に、私は言いました。
いいえ。孤高の魔王で、私の旦那様で、前世の推しです!
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