セイラから見たお話

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セイラから見たお話

 どうか。  どうか旦那様との婚約破棄並びに、ヤクレイ伯爵家から除名の上の僻地追放を撤回して頂けませんでしょうか。  私はお仕えてしている旦那様アーク・ヤクレイ・ソック様の元婚約者、ココ・ヤーク・ハキム王女殿下の私室に通されるなり、床に額を擦りつけました。 「顔をお上げなさい、セイラ。貴女がこんなことをしても何にもならないわ」  肩に細くたおやかな手が添えられて、顔を上げるように促されましたが、私はそのまま動くつもりはありません。  ココ様は私の顔を上げさせようと、しばらく命令したりなだめすかしたり肩を引っ張ったりされていましたが、やがて諦めて席に戻られたようです。ソファーに座った気配がいたしました。  本来であれば、王女殿下であらせられるココ様は、私のような侍女がお目通りの叶う方ではございません。ですが男爵令嬢である私と伯爵令息の旦那様、王女殿下のココ様は、年頃の近さからよく三人で遊んだ仲、所謂幼馴染なのです。  あさましくも私はそれを利用して、こうして土下座をしている次第であります。  紅茶を一口、お飲みになったのでしょうか。衣擦れの音がしてから少しの静寂の後、涼やかな美声が響きました。 「私も心苦しいのよ。アークはともかく、友人である貴女を悲しませるのはね」  ああ、でしたらどうか温情を。 「それは出来ないわ。いい? セイラ。アークがしでかした、ヒイロへの数々の嫌がらせと悪い噂の捏造はともかく。殺人未遂は動かない。アークのヤクレイ伯爵家から除名の上、僻地への追放は、これでも元婚約者と幼馴染であることを加味した温情なの」  そんな。全て誤解です。あのお優しい旦那様がそんなことをなさるはずがありません。  ヒイロ様は平民でありながら突出した魔力と剣の腕をお持ちで、教会の推薦を受けて貴族学院に入学されました。  その卓越したお力と成績、明るく親しみやすい性格から、学院の令嬢・令息方がヒイロ様と親睦を深められ。ココ様の鉄壁のお心さえ攻略してしまわれたのです。  いつもクールなココ様が、とても柔らかなお顔でヒイロ様と談笑されているのを見た時、私は焦りました。  けれど焦った私に反して、旦那様はココが幸せそうで嬉しいと笑っておいででした。ココ様は旦那様の婚約者。大好きなココ様の心変わりに、誰よりも胸を痛めておられたはずなのに。  ですから旦那様がヒイロ様に嫌がらせや噂の捏造をするなんて、ましてや魔物をけしかけて亡き者にだなんて、するはずがございません。 「アークとは長い付き合いで、お互いに憎からず思ってはいるけれど。それは友愛で、男女の愛ではないわ。わたくしのことで胸を痛めてなんかいないわよ。だってアークは貴女のこと……いいえ。わたくしから言うことではないわね」  ああ。ココ様が抱かれていたのは、友愛だけだったのですね。ですが旦那様は、そうではありません。 「ちっ。アークの馬鹿。いつまでもヘタレているから伝わらないのよ」  ? 今舌打ちが聞こえたような。 「いえ。気にしなくていいから、本題に戻りましょう」  ! そうでした。  たとえご自分の思いが届かなくても、他人の幸福を我が事のように喜ばれる。旦那様はそういう方です。  その旦那様がヒイロ様を陥れ、害されようとするだなんて。あり得ません。 「あれだけ大勢の目撃者がいた上に、アーク本人が認めているのよ」  それが私にはわからないのです。  旦那様が魔物を召喚して、ヒイロ様を襲わせただなんて。今でも信じられません。  あの後、私は旦那様に幾度となく言いました。  なぜ否定なさらないのですか、真実を弁明なさらないのですか、と。  しかし旦那様は僕が悪い、僕の我儘なんだと、困ったように微笑まれるばかり。処分を受け入れていらっしゃるのです。  私や私の実家程度では、いくら陳情しても相手にされません。  ですからもうココ様に訴えるくらいしか、私には出来ないのです。  ココ様は旦那様の元婚約者であるにも関わらず、婚約者である時から辛辣に接しられておりました。しかし旦那様を嫌っていたからではございません。素です。  旦那様とは物心つく前からの婚約で、両家の交流も盛んでありましたので、幼馴染の間柄。気安いがゆえの遠慮のない物言いと態度は、周囲から大変嫌っているように見えるだけなのです。  誰にでも公平なココ様なら、旦那様がココ様との婚約破棄に至った悪行をなされるような方ではないことをご存知のはず。  旦那様はとても優しくて善良で、私が心配になるほど素直で純粋な方です。  けれど旦那さまの内面よく知らない方は、皆さん勘違いされるのです。  高く曲がったわし鼻が、魔女のごとき狡猾さを思わせ。ぎょろりと落ちくぼんだ瞳が、好奇心できらきら輝く度に、何か企んでいるのではないかと疑われてしまいます。  猫背で身長が低いため、下から見上げねばなりませんが、それもよくないようです。値踏みをしているのかと勘違いされてしまいます。  シャイな旦那さまは否定も肯定もすることなく微笑むのですが、皆さまなぜか顔色を悪くされてしまうのです。意味がわかりません。  あんなに可愛らしい笑顔なのに。それを不気味だと言うのですよ。失礼なことです。  ちょっぴり不器用で、目尻と口元がピクピクしてしまうところが可愛いのではありませんか。皆さま、ちっとも分かっておりません。 「あれを可愛らしいと言うのは貴女くらいよ、セイラ。視力は大丈夫? いいお医者様を紹介しましょうか?」  呆れたように吐き出されたのは、冷たい美声。その持ち主であるココ様は、床に突っ伏しているため今は見えませんが、くるくると綺麗に巻かれた金髪。つり上がった大きな瞳。少しきつめではありますが、美声に恥じぬ掛値なしの美人です。  視力はいたって正常でございます。旦那さまほど可愛らしい方はいらっしゃいません! 「どこが? 髪だって櫛も入れていないのではないの? 爆発でもしたのかと思うくらい、ぼさぼさで不潔だわ」  ぼさぼさではありません。ふわふわです。 「あれでふわふわなの……それは知らなかったわ」  触ったことのない方は分からないのです。  旦那さまの縮れた黒髪は、実はとっても柔らかい猫っ毛なのですが、ふわふわとまとまりがないため不潔に見えるようです。  旦那さまはそれを気にされていて、毎日香油を塗ってまとめようとしていらっしゃいます。しかしそれがどうやらギトギトと脂っこくて不潔な髪に見えてしまっているようで、私はとっても不本意です。 「へええぇ。それで? アークの良いところをアピールして、婚約破棄を撤回してほしいと? それは浅はかというものよ、セイラ。あれとは幼馴染の腐れ縁。貴女に言われるまでもなくアークの性格は熟知しているわ。その上での婚約破棄よ」  どうでもよさそうな相槌を打った後、また少しの沈黙。視認できてはおりませんが、冷ややかな美貌のココ様が、音を立てることなく優雅にカップを置かれるのが目に浮かびました。 「伯爵家除名も追放も、アークは納得している。貴女が何をどうこう言ったところで減刑はないわ。分かった?」  分かりません。分かりたくもありません。  唇をかみしめる私に、ココ様がため息を吐かれました。 「話は終わりよ。これ以上は時間の無駄。帰って頂戴」  私はすごすごと王宮を後にしました。
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