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03
Q12 マンハッタンは島である。
「イエス」
チューインガムを噛みながら、新聞に青えんぴつでグリグリを書き込む。キオスクで買った新聞についてた死ぬほどどうでもいいクイズを解きながら、もっとどうでもいい授業を聞き流す。このくそつまらねえ問題を作ったやつらもきっと、退屈で能なしのくそつまらねえクズ大人に違いない、とか思いながら。
結局午前中の授業の途中から学校に行ったけど、しまったことに何の授業だか忘れていた。ロッカーに貼りっぱなしの時間割表を見て、私はうんざりした。でも、そのまま踵を返すってものも、どうだか少し悔しかったので、噛んでるガムみたいに机に貼りついてうだうだとしている。
文学や詩のクラスならやる気もでるけど、物理なんて何が楽しいのか分からない。例によって教室内にいるのは真面目なヤツか不真面目なヤツか特別なヤツだけ。高校なんてろくなもんじゃない。
「そんなに物理、嫌いか?」
となりの席の男が小声で話し掛けてくる。
こいつは不真面目なヤツだ。変人竹岡。竹岡ミキヤ。わけの分からない科学実験だか爆発事故だかを起こして停学になったとか、化学室の薬品で手製のクリスタルメスを作って警察にパクられたとかいう噂のある男だ。涼しげな顔立ちの美男子だが、会話が成り立たないのでほとんどのヤツに敬遠されている。
そんな竹岡に向かって、苛立ちを込めて言う。
「……理科系全般が好きじゃない」
「分かった」
なにがだ。
お前に私のなにがわかったんだ。言ってみろ。
昼休み。私が外で昼食をとっていると、どこからともなくミキヤが現れた。私の食事(自分で作ったピーナッツバター&ジャムサンドとパックのオレンジジュース)を見て「不健康だな」と呟いて、ベンチの隣に腰掛ける。そして私が抗議の声をあげるより早く、自分の世界を広げ始めた。
「エリナ、お前に世の中の秘密を教えてやるよ」
そう言うとミキヤは私の腕をとって、ペンで記号を書き出した。普段は誰かに近寄られるだけでも嫌なのに、腕に触られるどころかお絵かきされても、なぜだか怒る気にも不愉快にもならなかった。ただただ不思議なことすんなぁコイツ、といった妙な落ち着きが感じられた。
緊張させない。誰かと一緒にいても、鼻の奥がツンとするあの息苦さを感じない。私ははじめてこのミキヤという男に興味をもった。そしてさっきから手首をくすぐるペンの動きにも。うでの裏っかわ、皮膚が他の所より白くなっているところに、点と丸が書いてあった。
「なにこれ」
「まあ、一つの、世界の真実ってやつかな」
「意味わかんないんだけど」
「お前の世界さ。お前の見てる、な。俺のはこう――」
そう言って今度は自分の腕に記号を書き込む。さっきと同じように、点と、それを囲む円。でも今度は円が二重だ。
「俺の見ている世界にはものさしがある。それは物理法則だったり数式だったりして、つまりは科学。人間の叡知。そんなもんだ」
私の円は一つだけ。なんだコイツ、結局自分の知識を自慢したい痛いヤツ? それとも、回りくどいこと言ってお説教かよ。
眉を吊り上げ、なるべく冷たく見えるように竹岡をにらむ。
「私がばかだって言いたいの?」
「ちがうさ、そうじゃない。そうじゃなくてな、見方の話なんだよこれは」
「みかた?」
「ああ。俺には俺の見方があって、それの一端は科学のものさしに準拠している。それと同じように、エリナにはエリナの見方があるんだってこと。それを知りたいんだ」
なるほど。で?
「それがどういう意味になるっていうの?」
「そうさな、つまり――俺はお前に興味があるってこと」
そう言ってミキヤは私の手を握って、微笑んだ。分厚くゴツイ眼鏡の奥で、意外にも優しそうな瞳がこちらを見つめていた。こうして見るとなかなかの美男子ではあるんだ実際。
「じゃあダメ……かな?」
ああ、マジの変なヤツだったわ。
思わず笑ってしまっていた。
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