類稀なる青の果てに

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 あぁ、まただ。  酷い海鳴りの音が俺を呼んでいる。  あおの瞳が艶んだのが見えた。  一瞬でも目を離すとすぐこれだ。  全く、困った妹である。  惚れやすく、惚れられやすく、人好きのする彼女に俺はいつだって複雑な感情を抱いていた。  コンプレックスが嫉妬に変わり、それはやがて赤黒く染まった愛の結晶へと昇華された。 「何? 好きな人でも出来た?」  揶揄うようにそう尋ねると、ぽっと頬を赤らめて、あおは俯いた。  それが答えだった。 「……うん」  か細いその声はどこまでも愛くるしい。  そして、厭らしく女らしい。  あぁ、そうだね。  君もそろそろ「女」になる。大人になってしまう。  ふっくらと丸みを帯びていく身体や、ふんわりと柔らかな色白の肌に、そして繊細で華奢な骨格。  未来の俺には決して手に入れられないもの全てを手にしたまま、君は下品で淫らな女になってしまう。  俺と同じように髪を短くさせたり、同じ丈の学ランを着させたり、俺自身が身長を伸ばさないために不摂生に生きてきた全ての努力を裏切って。  どうやら人間の身体には限界があるようだ。  どうしたって、俺では「あお」になれないらしい。 「ふーん。さっき目で追いかけていた人?」 「ば、ばっか! 何で分かるんだよ。トイレに行ってたんじゃなかったのか?」  ごつごつした骨張った手も、いがいがして声変わりをし始めた喉奥も、ぎしぎしと毎夜の如く軋んで痛む脛の痛みも、俺が「男」にしかなれないことの何よりの証明だった。 「双子だからな。あおの考えていることは全部分かるよ」  ふいっと拗ねた妹の耳先はぽてりと赤く火照っていた。  ピンクの髪をポニーテールに揺らして歩く彼の目の前に立ってみた。 「落としましたよ」  柔和な笑顔はあおのそれを真似ている。常套手段だ。 「あ、ありがとう!」  立ち去ろうとする背中に声がかけられる。  野太くて汚い声だった。 「あの、貴方のお名前は?」 「あお、です」  偶然を演出するのなんて容易い。  案の定、彼は俺に惚れて、あおは絶句していた。  憎しみの籠った目で俺を睨むあおも綺麗だった。  これで良い。  君が「女」になってしまう前に、俺は君を連れて世界から消えよう。  タイムリミットはすぐそこに迫っていた。  あおの細い首に手をかけた。  ふわりと甘い女の匂いがした。  次の瞬間、激しい衝撃が俺を襲い、世界は暗闇に包まれた。  それが最期だった。  俺の上に重くのしかかっていた土が少しずつ退けられていく。  一瞬、公園の街路灯が瞼の裏に光った。 「……そん、な。どういうこと?」  愛しき妹の惚れた彼の、絶望に染まった声が聞こえた。  それから、どさりと妹の亡骸が俺の横に落とされる。  美しいあおの顔が目の前いっぱいに広がる。  あぁ、俺は今とてつもない幸福の絶頂にいるのだ。 ――――まってたよ、あお。
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